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私を見る目。私はそれを、ずっと自分の外にあるものと思っていた。私を非難し、断罪し、軽蔑する目。それは父の目であり、母の目であり、世間の目だと思っていた。違う。私のなかに、私を見る目がある。私を非難し、断罪し、軽蔑する目は、私の中にある私の目だ。

いまならわかる。それは価値観の内面化だ。父や母や世間の価値観。その価値観は、私を問題児と決めつけ、堕落していると決めつけ、まともに生きることができない人間と決めつけていた。反発しているつもりだった。私はそんな人間ではないと、叫んでいるつもりだった。だが、なんのことはない。私は、そのような価値観を内面化し、自分のことを、堕落したどうしようもない人間と決めつけて断罪していたのだ。

2つの人格が統合され始めた

つきものが落ちたような感じだった。そうだったのか。そういうことだったのか。私は世間や両親の価値観を批判しながらも、それを打ち消すことができずにいた。それなら私は、堕落した人間のクズではないのか。いや、そうではない。私は確かに堕落した人間のクズだった。自分でもそれを知っていたのだ。

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私の中で、分裂していた2つの人格が統合され始めていた。私をクズと決めつける世間や親に牙をむき、その価値観を否定しようと躍起になって抗っていた自分と、「お前はクズだ。生きる価値などない」と、誰よりも厳しい声で私を責めたてるもう一人の自分。この2人の激しい抗争が、私を破滅へと導いていた。対立する2人の自分の狭間で、私は自分を見失い、自分がなにを望んでいるのか、なにがしたいのか、まるでわからなくなっていた。

命を奪いかねない勢いで対立していた2人の自分が統合されていく先で、私は、どのような自分に、どのような人間になっていくのだろうか。そのときはまだ、なにもわかっていなかった。

私は「かわいそうな子ども」だったのか?

私の両親のような者は、最近「毒親」と呼ばれているらしい。そんな親に育てられた私のような子どもは「アダルトチルドレン」と呼ばれたりもする。