玄関の扉を鎖と南京錠で縛り付ける
しまいに両親は玄関の扉を鎖と南京錠で縛り付ける。姉を自宅から出さないため。それこそが“異常行動”だという自覚はない。現代の「座敷牢」だ。精神科病院で繰り返し報道される虐待とも重なる。精神疾患に対する偏見と差別が象徴的に表れている。
これほどの状況でも“暴力”がないことに救いを感じる。医療を受けさせないことも家に閉じ込めることもある種の“暴力”ではあろうが、殴る蹴るといった身体への直接の加害は一切出てこない。奇矯な行動をとりつつも暴力は振るわない姉。その病気をなかったことにする両親。そのありようにカメラを向ける監督。それぞれに「お互いへの愛」があるからこそ、ギリギリのところで家族のドラマが成り立っている。
やがて母親は認知症になり、不審者が毎日家に忍び込むという妄想にとらわれる。不審者から守ろうと夜ごと姉の寝室に入り込む。深夜に起こされ意味不明の叫び声をあげ続ける姉。究極の修羅場で監督はひたすらカメラを回す。家族の真実を記録に残すことが、不条理を耐え忍ぶために必要だったのだろう。
なぜ娘に治療を受けさせなかったのか?
この状況が両親の頑なな考えを変えたのか。姉はついに精神科を受診し入院する。発症から実に25年がたっていた。投薬治療を経て3か月後に退院すると……治療が合うかどうかは人によると思うが、姉は実に劇的な変化を見せた。人としての感情を表に出し、会話が成立するようになる。もちろん、その後も姉の妄想による通報で警察官が駆け付けるなど、長年にわたる症状はそう簡単に消えないことも見せつけられるが。
映画の終盤、監督は父親に真相を追及する。なぜ姉に治療を受けさせようとしなかったのか? 答えは事実に向き合っているとは言い難い。しかし90代の父親に50代の息子が真実を知りたいと問いかける姿は終盤最大の山場だ。
この時監督は、撮りためてきた映像を作品として公開することについても意向を尋ねた。父親もこうした息子の意図に気づいていたのか、すんなりと了解し、映画の制作が動き始める。出来上がった作品は監督の家族に限った物語ではない。困難に直面した家族を前に同じように「どうすればよかったか?」という思いを抱いている人、他人事とは思えないという人は少なくないはずだ。だからこそ、深刻なテーマにも関わらずミニシアターは公開初日からほぼ連日満席が続いている。高齢者から若いカップルまで年齢層も幅広い。