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「オールドメディア」の宿命

 そうして呆れる一方で、次のことも再確認した。裏付けを取っていない、確認していないことがこれだけ大問題になるのだ。これが「オールドメディア」の宿命なのだ。基本なのである。もう一つ大事な点は、誤報とわかったら訂正と謝罪を出す。これも今回確認したことだ。メディアも人も間違える。だから、間違いがわかったあとの対応が大事となる。 

 しかし“誤報のあと”の差を感じてしまうのが兵庫県知事選後の現在だ。あの選挙では真偽不明の情報がネットに出回り、結果として斎藤氏の当選に影響を与えたという分析が多くあった。それらの情報発信者や媒体は責任を問われたのだろうか。

今後は「誤報」以上のものとも対峙しなければならない

 選挙後に朝日新聞は社説で立花孝志氏の名を挙げ、「何より、誹謗中傷や事実と異なる情報の流通をどう防ぐか」と書いた。立花氏は12月12日号の「週刊文春」で記者の質問に対し、選挙期間中の言動の数々をあっさりと翻している。こうなると今後は「誤報」以上のものとも対峙しなければいけないことになる。

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 私はここまであえて「オールドメディア」という言葉を使ってきたが、SNS対オールドメディアという対立軸では何も見えなくなる。デマを飛ばして平気な顔をする媒体・人物なのか、できるだけ取材をして裏付けを取り、間違えたら訂正・謝罪する媒体・人物なのか。この点も重要ではないか。 

 ひどすぎた共同通信の騒動を見たからこそ「伝えること」の意味を考えたいのである。