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 もちろん、そうなったらそうなったで、ファンや識者の間からは何のかんのと反発する声は上がるだろうが、個人的には、この流れはもはや後戻りできないしするべきでもない、と考えている。

 想像していただきたい。第二の神の手が、これから先の未来に起きたとしたら。そしてそこにVARがなかったとしたら。審判は命の危険にさらされる。

 VARを推進しようが廃止しようが、全世界がSNSでつながっていることにかわりはない。放送技術も進化し、以前であれば映し出せないような場面までくっきりと映像で確認できるようになった。スタジアムでは、無数のスマホが試合を見守っている。そんな中で、ジャッジを下した当人以外には明らかな誤審が起きてしまったら――。

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 というわけで、時間がかかりすぎる、カネがかかりすぎて発展途上国や下部リーグでは導入が難しい、など問題が多々あることは承知しつつも、わたしはVARの導入と推進に賛成する。

 もし我らが代表チームの誰かが神の手をやらかしたら、確実に気まずさを覚えてしまうであろう人間の一人として、あるいは騙した方より騙された方が悪いとか、過去に審判買収の疑いを強く持たれたりとか、マナーという概念が我々とは明らかに違っていたりとか、そういう国々と戦っていかなければならない国のサッカーファンの一人として、猛烈に賛成する。

◆このコラムは、政治、経済からスポーツや芸能まで、世の中の事象を幅広く網羅した『文藝春秋オピニオン 2025年の論点100』に掲載されています。