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“メディア王”という表現は適切じゃない

橋本 蔦屋重三郎という名前自体がブランド化していたってことですよね。すごいなあ。そうやって作者たちと付き合うとき、吉原での経験は生きていたんでしょうか?

鈴木 それは間違いなくあったでしょう。吉原は客商売の街ですからね。スルスルッと人の懐に入り込んでいくノウハウがあったんじゃないですか。それも単に打算的に動くんじゃなくて、ちゃんと相手の心をつかむというかね。当時、蔦重のことを悪く言う人は誰もいなかったんじゃないかな。

橋本 33歳のとき、日本橋にお店を出すんですよね。これは吉原からのステップアップということになるんですか?

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©kriver/イメージマート

鈴木 そうです。江戸時代の日本橋は本屋街でもあったんですね。そこで営業するってことは、自他ともに一流の本屋と認めることだったんです。ただ、そんなに儲かっていたわけではないと思います。稼ぎは次のアイデアにどんどん投入していくので、彼の懐にはそれほど入らなかったんじゃないか。だから、“メディア王”という表現は適切じゃない。道楽とまでは言わないけれども、好きなことを一生懸命にやっていた人だったはずです。

橋本 お金ではないところに価値を置いていたと。

鈴木 おそらく。なので、橋本さんが演じる奥さんは大変だったと思いますよ(笑)。

妻は本屋の娘という設定になっているが……

橋本 私が演じる妻の「てい」は、市中の本屋の娘という設定になっています。

鈴木 それは史実と違いますね。蔦重の妻は吉原の人だと思われます。吉原の酒屋の息子が亡くなったときに出した追悼本が残っていて、そこに蔦重の妻の名前で詠んだ歌が載っている。だから、吉原の人で、教養もある人だったということは間違いありません。ただ、それ以上のことはわからない。子どもがいたのか、いつ亡くなったのか、ずっと蔦重と一緒にいたのかどうかもわからないんです。

橋本 では、41歳になった蔦重さんが幕府から罰せられたときも、一緒だったかどうかはわからないんですね?

鈴木 そういうことになります。

橋本 私、蔦重さんが罰せられることになった経緯を、すごく知りたいと思っていたんです。背景にある「寛政の改革」も含めて興味があって。

鈴木 この話を学生たちとしていると、みんな間違った高校教育を受けているなと実感するんですね。老中の松平定信が指揮した寛政の改革の一環で言論が弾圧された、山東京伝や蔦重が捕まったと教わるんだけど、実は全然違うんですよ。だいたい一介の商人を、老中筆頭がわざわざピンポイントで処罰するわけがないじゃないですか。