きたる1月15日、東京築地の料亭・新喜楽にて第172回直木三十五賞の選考会が開かれる。作家・木下昌輝氏に、候補作『秘色の契り 阿波宝暦明和の変 顛末譚』(徳間書店)について話を聞いた。(全5作の4作目/続きを読む)
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この藩主、「名君」か「暗君」か――
歴史時代小説で常に新しい挑戦を続ける木下昌輝さん。今回の候補作は、大胆な藩政改革を担った型破りな藩主を描く、痛快エンタテインメントだ。
「徳島藩主の蜂須賀重喜という人物が大坂の藍商人に負けたという資料を読んで、この史実を小説として描いてみたいと思い、筆を執りました」
時は江戸中期、徳島藩蜂須賀家は、藩主が急逝し、新たな藩主選びに揺れていた。しかも、三〇万両もの借財を抱え、藩の財政は逼迫している。末期養子として迎えられ、新藩主となったのは、秋田藩主の弟、佐竹岩五郎こと後の蜂須賀重喜。儒学や囲碁、茶道、戯画などに通じた好学の士だが、彼は「政には興味がない」と言い放つ。
「徳島藩には藍という特産物があります。この時代、藍の流通は大坂商人に握られていて、藍販売の利益は薄く、藍玉(染料)の生産農家は苦しい生活を強いられて、藍師株を手放す藍作人も出てきていました。当初は本作に登場するえげつない大坂商人・金蔵の視点で書こうと思ったのですが、資料を読み進めていくうちに、重喜という人物が『名君』か『暗君』なのか本当に分からなくなって、これはもう読者の皆さんと一緒になって考えていけたらと、物頭の柏木忠兵衛という人物を通し、重喜の物語を書き進めました」
新しい改革などのぞまない五家老たちの専横に抗して、忠兵衛たち中堅家臣団は、藩主・重喜の直仕置(直接政治)による藩政改革をめざす。両者の対立が激化するなか、徳島藩を狙う大がかりな陰謀も絡んでくるが、重喜は驚きの改革案を打ち出して――。
「重喜の資料を読み込むと、誰にも負けぬ弁舌と知識がある。政に興味がないと言いつつも、作中で書いたように弁で家老たちを説き伏せていて、これは現代でいうところの論破王ですね。また厳しい倹約令と公共投資の両立、当時の身分制度を破壊する尖った新法を打ち出したりと辣腕も振るう。その姿はさながら、ドナルド・トランプのようです。何を仕出かすか分からない危険な存在であったと思いますね」
藩政改革の中で、藍の流通を藩に取り戻すため敵対する大坂藍商人の金蔵の存在が物語に厚みを加えている。
「金蔵は全くの創作の人物で、大坂商人の逞しさを込めました。その逞しさって悪事とも表裏一体。悪役の彼にも彼なりの思想や理想がある。改めて考えると、重喜と金蔵がタッグを組んだら、もっと大胆で面白い改革が生まれたかもしれませんね。実は、作品を読んでくれた妻からも『やっぱり金蔵を主人公にすればよかったやん』と言われました(笑)」
木下昌輝(きのした・まさき)
1974年奈良県生まれ。2012年「宇喜多の捨て嫁」で第92回オール讀物新人賞を受賞。14年、単行本『宇喜多の捨て嫁』を刊行。15年に同作で第4回歴史時代作家クラブ賞新人賞、第9回舟橋聖一文学賞、第2回高校生直木賞を受賞した。19年『天下一の軽口男』で第7回大阪ほんま本大賞、『絵金、闇を塗る』で第7回野村胡堂文学賞、20年『まむし三代記』で第26回中山義秀文学賞受賞。他著に『孤剣の涯て』『愚道一休』など多数。