歴史上の有名人を従来とは違う角度で切り取っている木下昌輝の新作は、あえて戒律を破り堕落した禅を批判した風狂の僧である一方、とんち坊主として庶民に親しまれている一休宗純とは何者かに迫っている。
数え6歳で臨済宗の安国寺に入った千菊丸は、「えらいお坊さんになるのですよ」という母の言葉を胸に勉学に励んでいた。母の生家も父が誰かも知らない千菊丸が、出生の秘密に苦しみ、先輩のいじめに耐えながら成長する前半は、秀逸な青春小説になっている。
幼い千菊丸が別れた母を想いながら修行するところは、アニメ『一休さん』を観た世代なら懐かしく感じられるだろう。だが千菊丸が腐敗した寺でえらくなることに疑問を持つようになると、母の言葉は千菊丸を縛る枷になってしまう。子供が親の呪縛から抜け出せずあがく状況は現代にも存在しているだけに、千菊丸の葛藤が生々しく思える読者もいるのではないか。
五山三位の建仁寺に入った千菊丸は、名を周建に改め慕哲老師に学び漢詩人として注目を集める。だが建仁寺の門に門閥主義を批判する詩を刻んで破門された周建は、激しい禅風の謙翁に宗純の、次いで参じた華叟宗曇から一休の道号を得る。禅の修行といえば座禅を組む静かなものを想像するかもしれないが、公案をめぐり師弟が激しく繰り広げる問答は、剣豪の一騎打を思わせる迫力がある。
一休の周囲では、その出自を権力闘争に利用しようとする赤松越後守が暗躍し、一休に師事して煩悩のない心で悪をなす無漏悪の境地を目指す山名小次郎が権力を持ち始めるなど、政治と謀略のドラマも加わってくる。東堂と西堂が猫を取り合い、それを見た南泉和尚が禅の本質を答えられなければ猫を斬るといった公案「南泉斬猫」を応仁の乱に見立てるなど、禅を軸に歴史を読み替える歴史小説としても楽しめる。
一休は、共に華叟宗曇に学んだ師兄の養叟と禅の改革に乗り出すが、漢文が読めない女性向けに公案をかなで書くなどの改善策を出す養叟と、頑なに伝統を守ろうとする一休は対立を深める。組織を改革する方向性は同じなのに、その方法をめぐって対立するのはいつの時代も起こり得るだけに、養叟と一休の手法はどちらが正しいのかという問い掛けは考えさせられる。
酒と美姫に溺れる風狂の先に己の禅を確立しようとした一休は、艶歌を作り喝采を浴びるなど、一休さんとして庶民に親しまれていく。晩年の一休は、禅も、学問も、芸術も、何かに打ち込んだ人間は正気を失うが、「正しく狂わねばならん」との境地に達する。この展開には、何かを成し遂げる人にはエキセントリックなところがあるが、それを認めない同調圧力を強める現代日本からは、新たな価値観を生み出す人が出てこないのではないかという危機感も感じられた。
きのしたまさき/1974年奈良県生まれ。2014年刊行の『宇喜多の捨て嫁』で舟橋聖一文学賞、高校生直木賞を受賞。20年『まむし三代記』で日本歴史時代作家協会賞作品賞を受賞。
すえくによしみ/1968年、広島県生まれ。時代小説、探偵小説を中心に、幅広く文芸評論を執筆。おもな著書に『夜の日本史』等。