それが政治の世界にも及んでいるのが今の実情だ。SNSが日本で急速に広まった2010年代はまだ、政治家はテレビの方ばかり向いていた。ネット選挙の重要性が高まり、投稿を拡散するサクラが雇われ、バズらせることが目的になると、ミーム化そのものを狙った発信が増える。相手候補を貶す際にも半ば組織的にミーム化が行われるようになった。
日本はマウント傾向の文字メディアと親和性が高かった
興味深いのは、米国のネット選挙の現在の姿である。2016年の米大統領選におけるSNSの世論操作がおどろおどろしい陰謀論であったのに比べ、2020年は恐怖を煽ることが目的となり、現在は両陣営が相手を馬鹿にするキャンペーンを行っている。相手を馬鹿にしてマウントを取るというのは、先ほどの2ちゃんねるの文化そのもの。世界的にXのユーザー数が突出する日本は、そもそもそうした数を恃(たの)むマウント傾向の文字メディアと親和性が高かったのであろう。
各陣営の支持者は、ミーム化を狙って候補者の定型フレーズを拡散する。彼らにとって、相手陣営のミームは常に腹立たしく、愚かで不快なものでしかないからそれを嘆くのだが、自陣営も同じような人を嘲弄する手法でミームを拡散していることにはなかなか気付かない。2008年に大統領に選出されたオバマ氏は、今から考えれば美しい理想ばかりを述べる人だった。それが現代人にはもう表層的にしか見えないのである。
政治は常にキーワードを用いる。CHANGE!とMAGAの間には単純さにおいてさほどの違いはない。だが、人々は美しい文章を話す政治家の話を聞くよりも、短文で拡散するミームにばかり関心を割くようになってしまった。
ミームの本質は定型表現の模倣による個の埋没である。従って、能動的で攻撃的なミーム以外にも、集団に受け入れられたい、責任を逃れたいという理由で用いられるミームもある。昔、大学院で教わった比較政治の教授に、「発表させていただきます」という言葉を学生が使うと「誰がするのかを不明確にするような言葉を使うな」と叱る人がいた。