“時代を作った人たち”の本音に迫る対談企画「有働由美子のマイフェアパーソン」(月刊誌「文藝春秋」で連載中)。
今回は元ピンク・レディーの増田惠子さんが出演し、2024年8月に膵臓がんで亡くなった夫との日々を振り返った。
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抗がん剤治療を選ばなかった
有働 44歳の時にご結婚されたサウンドプロデューサーの桑木知二さんが、今年(2024年)8月21日、膵臓がんで亡くなられました。ケイさんのブログでのご報告、涙なしには読めませんでした。3月にがんが見つかり、4月にステージ4の末期と診断され、抗がん剤を当然のように勧められたけれど、お二人でしっかり話し合われて、抗がん剤治療を選ばなかったそうですね。
増田 もともと互いの死生観はよく話していました。主人は薬嫌いで、どんなに熱があってもできるだけ飲みたくない人。だからがんになっても、抗がん剤治療は受けたくないと考えていた。そういう死生観は理解していましたが、いざ膵臓がんで末期とわかった時にはやっぱり迷いました。今思えば、結論を出すまでの時間が一番苦しかったですね。
有働 その結論を出す前夜に、ケイさんが勇気を出して……。
増田 言わないと後悔するかもしれないと思ったので「抗がん剤治療を受けてほしいと思っている」と伝えました。主人はとても穏やかな笑顔で私の話を聞いて「受けるつもりではいるよ。だけどまだ説明を聞いていないことがあるんだ。それを納得したいんだ」と答えてくれて。翌日、病院の面談で一番怖かった質問をすると、お医者さんから「抗がん剤を使わなければ4カ月、使えば13カ月」と説明されました。それを聞いて思いが一致したんです。抗がん剤治療を受けたからといって何年も延命できるのではない。まだ元気だったし自覚症状もなかったので、抗がん剤を使わずに今までと同じ生活をし、お互い一日一日を大切に楽しく笑顔で暮らしていこう、と。
有働 「命の長さではなく、生活の質を選ぼう」と2人で決めたとブログに書かれていました。ただ、そこからが大変ではなかったですか?