――SMバーで働いてみていかがでしたか?
鵺神 当時のSMバーは今よりも入場料が倍以上で、簡単には立ち寄れないシークレットな場所でした。来ているのは、本当にSMが好きな人たちや、遊びに慣れてる人ばかり。そして、お金を持ってる人が多い。
お店では、お金持ちのおじさんが女の子と親密になっていくのを目の当たりにしました。それまでイケイケだったけど、私にはお金もないし、肩書きもなかったから、「どう頑張っても、このおじさんたちには勝てない」と感じて。それが悔しかったので、お金や肩書きでは覆せない技術を身につけようと思ったんです。
「おじさんに財力も権力も社会的地位も敵わないけど…」縛りの技術を習得するようになった理由
――その技術が「縛り」だった。
鵺神 そうです。「縛る」ことに関しては、お金も肩書きも関係ないから、そのおじさんたちと対等になれますよね。財力も権力も社会的地位も敵わないけど、この分野なら自分は彼らに勝てるんじゃないかなと。
――そこから縛りを積極的に覚えるようになったんですね。
鵺神 ただ、元師匠であるお店のオーナーは教えてくれなかったんです。職人気質なので、「見て盗め」と言われて。
昔から「芸は見て盗め」って言われていますけど、盗むほうにもある程度のレベルが必要なんですよ。だから、素人の私がいくら見ても、ただの真似事になってしまって技術が身に着かない。
皿洗いや配膳などの雑用をしながらほかの人の縛りを見てましたけど、全然ダメで。結局、半年ほど経った頃、元師匠のお弟子さんから縛りを教えてもらえるようになりました。
――すぐに縛師としてデビューしたんですか?
鵺神 デビューしたのは2011年で、だいぶ時間が経ってからなんです。池袋のお店を1年ちょっとで辞めて、そのあとは別のことをやりながら縛りを学んでいたんですけど、デビューするにあたって、「こんないい加減な技術のままではダメだな」と考えて。
アマチュアから抜け出すために、師匠に頼みこんでなんとか弟子入りしました。でも弟子入りから1年半で、破門になってしまって。
――なぜ破門に?
鵺神 きれいな言い方をすると、方向性の違いです。音楽グループの解散みたいな表現ですけど(笑)。そこから独立して活動していくことになります。そしてその後、独自の緊縛方法「責縛」を生み出すことになるんです。
撮影=山元茂樹/文藝春秋

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