カリスマ緊縛師としてその名を轟かせている鵺神蓮(やがみ・れん)さん(40)。近年、緊縛が日本の“文化”として世界的な注目を集めており、鵺神さんもグローバルな活躍を見せている。
とはいえ、世間的には緊縛が身近な存在とは言い難い。なぜ彼は、そんな世界に自ら足を踏み入れることになったのか。幼少期の家庭環境や、初めて「縛り」に目覚めた中学時代、「縛り」の道に入ったきっかけなどについて、話を聞いた。(全2回の1回目/2回目に続く)
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「ザ・昭和の父親」のもとで育った幼少期
――鵺神さんは、幼少期から少し変わった性癖をお持ちだったそうですね。
鵺神蓮さん(以下、鵺神) 当時は気づいてないですけど、幼稚園や小学校の頃から人と違っていたなと思います。要は、加虐行為によって性的興奮を覚えてしまうんです。好きな人や信頼してる人に対しても、そういう行動を取ってしまう。私は人よりも倫理感や罪悪感が薄いのかもしれません。
――その性癖は、ご自身の生い立ちが影響している?
鵺神 そんなに特殊な生い立ちでもないんですけどね。両親はいたって普通で、共働きで料理屋を営んでいました。親父は料理人で、ザ・昭和って感じの男で。 兄弟もいなかったので、子どものときは1人で遊ぶことが多かったです。
――お父さまはどんなところが「ザ・昭和の男」だったのですか。
鵺神 小学校高学年の時、親父が突然、私のことをバーンって1発ビンタしてきたんです。そしてそのあとに「殴るぞ!」って言ったんですよ。
私が「もう殴ってるじゃないか!」って反論したら、親父が手のひらをパーにして「馬鹿野郎。これは“張る”っていうんだ。殴るってのはな、拳で殴ることを言うんだよ。辞書を引け、バカ!」と怒られました。
とにかく日本語に厳しくて細かい男でしたね。「だから勉強ができないやつはダメなんだ」とよく言われてました。
母親は銀座のお姉さんで、彼女もいわゆる“昭和の女”だった
――豪快ですね。
鵺神 ある日、親父に前蹴りされて、その勢いでふすまを破って倒れたことがあったんです。すごく痛がりながら涙目で睨んだら、私に向かって親指を突き出しグッドポーズをしたんですよ。普通の父親なら、息子がそんなふうになってたら「大丈夫か?」の一言くらいあるでしょ(笑)。
私に柔術を習わせたりしていたので、息子と思う存分戦うような“親子げんか”がしたかったんだと思います。スパーリングパートナーみたいな。戦ったうえで、しっかり叱りたかったのかなと。