しかし、富美子は伊藤になびかず、1947年から単身で大阪に戻り小学校教師として働き始める。1人で部屋を間借りし、月給7千円(現在の貨幣価値で約28万円)から毎月2千円を実家に送る日々。苦しい生活を余儀なくされていた父母の支えになることが最優先で、伊藤からいくら積極的にアプローチされても、それを受け入れる余裕などなかったのである。
大阪で教師に就いて2年が経過した1949年、彼女のもとに伊藤から知らせが届く。なんでも、2年前に上京し、昨年警視庁巡査を拝命、現在は板橋区の志村署に勤務しているという。もっとも伊藤の手紙には、上京後に浅草で露天商となり、テキ屋仲間と付き合っていたことは書かれていなかった。
近況を知らせるこの手紙をきっかけに2人は再び連絡を取り合う仲となる。実は、富美子は大阪で同僚の男性教師に心を奪われ本気で結婚を考えていたものの、相手にその意志はなく関係が消滅していた。そんな頃合いを見計らったように届いた伊藤からの手紙。彼女は一途に自分のことを慕ってくれる伊藤のことを本気で考えるようになり、その後、頻繁に手紙を交換する。
プロポーズは成功したけれど…
1949年夏、富美子は伊藤が住む警察の寮を訪ねプロポーズを受ける。即答は避けたものの、以降、伊藤を慕う気持ちは日に日に増していく。そのころ、彼女が伊藤に出した手紙が後に新聞で公開されている。
〈忠夫さん、危ない所には絶対に行かないでね。もし警察官の名の下にそうした行動をとらねばならない時は、弱虫のようですけれど、巡査を辞めてください。私はどんなことをしても、離れるのはいや。私を泣かせないでね。私を置いてどこへもいらっしゃらないとは信じていますが、離れないでね。富美子。私の大事な忠夫さまへ〉
1951年春、富美子は大阪から上京、板橋区の志村第三小学校へ転勤すると同時に、結婚を視野に入れ伊藤との同棲生活を始めた。自分は小学校教師で、伊藤は現職の警察官。安定した暮らしが送れるとの見込みがあったことは言うまでもなく、近いうちに富美子の母親と弟も同居するという頼み事を伊藤が快諾してくれたのも安心だった。
富美子の仕事は上京してからも順調で、学校側の評価は高く、児童からも慕われる。が、私生活では予想だにしない現実が待っていた。真面目で優しい、自分に一途な警察官だと思っていた伊藤が同棲を始めてまもなく、実際は極めて素行の悪い人間であることが発覚したのだ。
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