──今回は“謝罪”がテーマですが、どのような狙いがあったのでしょうか。
大森 第1弾の『イシナガキクエを探しています』は今から55年前に突然行方不明になった女性をさがす公開捜索番組をモチーフにした作品で、僕たちとしてもすごくいいものができたと思ってましたし、ありがたいことに視聴者の皆様にもとてもいい反応をいただきました。
その一方で公開捜索番組というテレビ局主体の大きなフォーマットがあるものだと、例えば進行役の安東弘樹アナウンサーが感情を出してしまうと不自然になってしまうため、人間の細やかな感情が描きづらい側面もあるのかなと思ったんです。なので第2弾はもう少し個人の感情みたいなものにフィーチャーしたものができたらいいねという話になりまして、その中で「謝罪」というテーマが構成担当の寺内さん・福井さんから出てきたんです。それを聞いたときに、今回は絶対これだな、と。
謝罪とは本来は個人の感情がベースにあるものなのに…
謝罪って本来個人のものであるはずなのに、昨今は個人のものになっていない現象だと思うんです。それこそSNSの発達とともに毎日いろんな謝罪を目にするし、その謝罪も個人が個人に謝っているものというより、ある種“儀式”として行われてるものが9割5分ぐらいの感覚があって。
よくある構文としての「ご不快になられた方がいたとしたらお詫び申し上げます」みたいな。「謝った」という既成事実をつくるための取材というか。そういうテクニックが出てきている時代だからこそ、謝罪という本来は個人の感情がベースにあるものをテーマにフェイクドキュメンタリーを作れたら面白いんじゃないかという話し合いから、今回の『飯沼一家に謝罪します』というかたちになりました。
──ひと昔前だとテレビの記者会見で「このたびはお騒がせして申し訳ございません」と頭を下げているイメージがあります。
大森 テレビと謝罪という組み合わせも最近は少なくなりましたが、いろんな謝罪を目にしてきましたよね。中には誰が誰に謝っているのか分からないけど、ここで謝罪をすることが絶対に必要だったということだけは分かる、みたいなものもあったり。それを見た時に感じる不穏感というか、グッと引きつけられるような感覚を、フィクションでも生み出せたら、というのは思いました。
──”謝罪すれば罪を償ったことになるのか”というテーマを、4夜連続でどのように描こうと思ったんでしょうか?