23日から4夜連続でテレビ東京で放送されているTXQ FICTION第2弾『飯沼一家に謝罪します』。プロデューサーがフェイクドキュメンタリーを作り続ける理由とは…。(全3回の2回目/♯1、♯3を読む)
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“不安”は最も人間らしい感情
──前作『イシナガキクエを探しています』放送後に届いた反響の中で印象的だったことはありますか。
大森 思わぬところで“ここはリアルじゃない”と言われることが多いです。僕たちの間では一度も議題に上がっていない、まったく問題ないと思った場所を、そう指摘してくださる方が10人、20人いると新たな何かを発見したという気持ちになります。
ドラマだとどんなに面白くて心が動いても、そこまで自分の近くに寄せてない感じが僕の中にあるんですが、不思議なものでフェイクドキュメンタリーの手法だとフィクションを謳っていても皆さん自分の身体にグッと近づけて見る。体験自体を面白いと思ってくださる方が多いから、現在モキュメンタリーホラー的なものが大きな潮流となっているのかなと感じます。
──大森さんは“不安”というものに対して、とても興味があると語っています。
大森 なぜこんなに“不安”という感情に興味があるのか自分でもよく分かっていないところもあるんですけど、ひとつは最も人間らしい感情のような気がするんです。
“恐怖”は動物にも発生するもので、火が怖かったり天敵が近づくと逃げますが、“不安”はもはや対象の輪郭がはっきりしていなくても感じるし、ひいては対象がなくとも内側に向いて生まれるものです。そうなるには自分自身に距離が近づいたフィクションであること、つまりフェイクドキュメンタリーというフォーマットが最適解のひとつだなと。
フェイクドキュメンタリーを作り始めた頃は、現実なのか虚構なのかわからないラインこそ不安になると思っていたんです。ところが、ここ1年ぐらいでそこじゃないかもと思い始めているムードの変化が僕の中であって。
物語として不安になることこそ、その人にとっての本当の不安であって、真実か嘘かは物語に近づくうえで逆にノイズになるんじゃないかという考え方になってきています。
フェイクニュースの数が増えて真実と虚構がわからなくなっている
──それはどうしてですか。