見る者によって印象の変わる「美」とは何か
――実際に奈良の法隆寺にも行かれて、夢殿の救世観音像もご覧になったそうですね。
永井 念願の秘仏を見る前までは、「ウワァーッ!」って感動するかと思っていたんですけど、実はそうはなりませんでした(笑)。むしろ「ヘエーッ?」という感じで、結果として夢殿の周りを何周も歩き回るという不思議な行動を取ってしまいました。ただ、それくらい分かりやすくないからこそ、逆にずっと人々はこの秘仏に対して、ずっと畏れを抱いてきたのかもしれません。
作中でも、この秘仏をフェノロサは「まさに国の宝……東洋の、世界の宝です」と評しますが、九鬼隆一は「これは……恐ろしいものだ。開かぬ方が良かった」と表現しました。同じように文化調査に関わって、同じ仏像を見ていても、人によって印象がまったく違うことにこそ深みがあって、そこからこの時代の文化的な背景、行政上の出来事、同時代の事件、さらにそれぞれの家族事情などが、浮かび上がってくるのではないかと思います。
私自身がこの作品を書きながら知ることも多く、執筆中に「東京国立博物館創立150年記念 特別展『国宝 東京国立博物館のすべて』」に行った時には、初代館長である町田久成の胸像が入口にあることに今更ながら気付いて、国宝そっちのけで写真を撮ったり(笑)。フェノロサに関しても名前はもちろん知っていましたが、その後の経歴や日本へもう一度戻ってきたこと、ボストン美術館に日本の美術品が大量にあるのは、ビゲローを通じてだったことなど、どんどん自分の中で答え合わせができました。
昨年、東京国立近代美術館で開催された『重要文化財の秘密』展を観る機会もあったのですが、岡倉天心が設立に尽力した東京美術学校で育てた日本画家たち、あるいはそこで教えていた黒田清輝に育てられた洋画家たちの作品で埋め尽くされていました。文化史というのは、歴史の中で戦争史や政治史に比べると、なかなか前面には出てこないけれど、私たちが今、美術として接しているものは、いろんなドラマを経て繋がってきたものなんですね。