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露呈する不審点の数々

 YouTubeだけでなく、全国各地で講演会も開催。確認できる限り料金は1000~5000円で、今年5月に大阪でゲストとの対談形式で開催された講演会には、約300人が参加したとされる。

講演会のお知らせ

 旧皇族という立場をアピールして活動の場を広げている華頂殿下。だが、そんな彼にいま、不審点が露呈しつつあるという。前出の視聴者はこう首を傾げる。

「これまで華頂殿下と華頂宮家をつなぐ客観的な証拠が示されたことは一度もないのです。そもそも、華頂殿下が祖父の博信氏に養育されたというストーリーは、時系列があわない。博信氏は1953年に渡米し、1970年に米国で亡くなっています。一方、博信氏に育てられたという華頂殿下は1959年生まれと公表している。こうした矛盾について、殿下は動画で、“博信氏が米国で逝去したというのは偽装で、その後佐世保に住まいを移し、自身を養育した”と語っているのですが……」

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講演を聞く人々(「華頂宮チャンネル」公式SNSより)

 にわかに雲行きが怪しくなる、荒唐無稽な説明。さらに、華頂殿下を古くから知る人物は、こう断言するのだ。

「彼が話していることはデタラメです。10年以上前から彼を知っていますが、出身は佐世保であるものの、本名は『華頂』ではなく、『豊田佐一』(仮名)といいます。かつての彼は派遣労働で生計を立てる傍ら、バンド活動に長らく身を投じていた。歴史研究家は自称に過ぎません」

華頂家の関係者を直撃すると...

 そこで、「週刊文春」記者は華頂家の家系図を確認。家系図から博信氏の孫として確認できるうちの1人である、華頂尚隆氏(67)を訪ねた。

――「華頂博一」を名乗り華頂宮家の当主の肩書で活動するYouTuberがいる。

「初耳ですが、何か私の家族や親族に実害があるわけではありませんし、接触を受けたわけではないので、私としてはあまり関係ないです」

――動画では、華頂博信氏は米国で亡くなったのではなく、佐世保に移住したと述べているが。

「それは無いですね。祖父は私が中学のときに亡くなって、米国で葬儀してから、原宿の教会でも葬儀が執り行われています。私も参列しているので、(佐世保に移住したという)事実はありません」

――確認だが、「華頂博一」という親族がいるか。

「私は聞いたことがありません」