「私の歌手人生はこの歌にたどり着くためにやってきたものだったんだな」
2018年、「夜桜お七」で初めて紅組のトップバッターを務めた平成最後の紅白では、ラストを特別出演したサザンオールスターズが飾った。坂本はこのときのリハーサルで、中学時代から憧れ続けてきた桑田佳祐と念願かなって対面した。
これをきっかけにデビュー以来心に秘めてきた思いが爆発し、翌春には桑田に自分に曲を書いてほしいと手紙を書く。数ヵ月経っても返事が来ないのであきらめかけたていたところ、先方からスタジオに来てくださいと連絡が入る。てっきり、直接断られるのかと思いきや、桑田はおもむろに「こういうものを書いてみたんですが」と新曲の詞を出してきて、坂本を感激させる。彼は続けてスタジオに入るよう促すと、すでに曲もできており、デモテープを聴かせてくれた。それから、桑田直々にギターの弾き語りによる微に入り細をうがつような歌唱指導を受けたという。
この曲こそ、話題を呼んだ「ブッダのように私は死んだ」であった。レコーディング自体はその年の11月には終えていたものの、情報解禁までは1年待たねばならなかった。そのあいだ、坂本はみんなに自慢して回りたいのに言えず、うずうずしていたらしい。ようやくリリースにいたったあとで、《個人的には、私の歌手人生はこの歌にたどり着くためにやってきたものだったんだなって思います》と感慨を口にしている(『週刊文春』2020年11月19日号)。
結果的にリリースされたのはコロナ禍のさなかの2020年11月となった。いまにして思えば、愛した男に殺された女の怨み節という形で人間の業を歌った同曲は、妙に当時の状況にハマっていた。翌月、初めて無観客で放送された紅白でも彼女はこの歌を披露している。
能登の被災地に向けて…「泣かずに歌うこと」
2011年の東日本大震災の直後、坂本は郷里の母から電話で「冬美、おまえは何をやっているんだ」と一喝され、発生の翌月には被災地へ赴き避難所で歌を披露している。ただ、彼女のなかでは《被災された皆さんの前で歌を歌ったことは、時間がたったいまでも、あれでよかったのかどうか……。/「元気が出た」と言ってくださった方もいました。涙を流しながら聴いてくださった方もいました。でも……。歌なんて聴く気分じゃないと、布団をかぶったまま横になっていた方の姿も忘れられません》と、迷いも残ったという(『坂本冬美のモゴモゴモゴ』)。
13年前の震災ではそんな思いを抱きながらも、今回の紅白出演に際しては、能登の被災地に向けて《悲しみだけではなく、また一から頑張ろうという気持ちを歌に乗せてお届けできれば。とにかくしっかりと泣かずに歌うことがまず一番の目標かな》ときっぱりと語った(「朝日新聞デジタル」2024年12月29日配信)。「泣かずに歌う」とは紅白初出場のときに師の猪俣公章から言い聞かされたことでもある。彼女の歌を待っているであろう能登の人たちのためにも、堂々と歌い上げる姿を期待するのは、筆者だけではないだろう。
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