復帰への希望が見えた“きっかけ”
しかし、二葉が聞かせるとおりに浪曲の節を歌うという特訓を週1回のペースで続けるうち、閉じていた喉がゆっくりと開いていく感覚があった。しばらくして、もしかしたらと思い、車を運転中に試しに「夜桜お七」のCDをかけて歌ってみたら、納得がいく声が出るようになっていたという(『週刊文春』2020年11月19日号)。
こうして希望が見え、2002年中には事務所やレコード会社に自ら連絡し、翌春の復帰にこぎつけた。その年の紅白は実家で視聴し、《みんな楽しそうに歌っている。初めて、紅白ってお祭りなんだと思えたんです》という(『週刊ポスト』2014年12月26日号)。
復帰した2003年の紅白ではデビュー曲「あばれ太鼓」を歌い、初心に返って再出発する決意を印象づける。翌2004年の紅白では、ファンだった韓流スターのイ・ビョンホンがゲスト出演し、彼が通る動線のところで待ち伏せして握手してもらったとか。これも歌手に復帰したからこその役得だが、本人いわく《この年は心ここにあらずで、うまく歌えなかったな(苦笑)》(『週刊大衆』2018年1月8・15日号)。
先述のとおり坂本は生放送で緊張するたちで、紅白でも歌詞を間違えることがたびたびあった。その原因について《私、すごく自分に甘いんですよ。完璧主義者でもないですし。でも変に自分を追い詰めるところもあって、年々ちゃんとした歌を届けなきゃ、っていう思いがプレッシャーになってるのかもしれない》と彼女は省みている(『週刊文春』2016年3月10日号)。
しかし、復帰後は以前のように疲弊することなく、新たなヒットも続々と生まれた。2009年にはフォークデュオ、ビリー・バンバンの「また君に恋してる」を焼酎のCMでカバーし、シングル「アジアの海賊」にカップリングで収録するとともに、携帯電話の着うたとして配信を始めると人気に火がつき、大ヒットとなった。