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阪急側にはない「尼崎みたいな風景」とお城の跡

 ただ、阪急伊丹駅にはないものもある。ひとつは、駅から陸橋で直結しているイオンモール。もともとは猪名川沿いの東洋ゴムの工場で、その跡地を再開発して2002年にオープンした施設だ。

©鼠入昌史

 このあたり、かつては港湾部の尼崎から続く工業地帯という側面も持っていた。いまでも猪名川沿いにはそうした工場がいくつか残っている。

 もうひとつは、JR伊丹駅から線路と並行する道を隔てて西側にある、城跡だ。

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 城跡といっても、天守閣のような建物があるわけではなく、残っているのは石垣だけだ。それでも、石垣の下には「史跡 有岡城跡」と刻まれた石碑が立っていて、ちょっとした駅前広場も兼ねた史跡公園になっている。JR伊丹駅を降りた伊丹の人々は、この有岡城跡を横切って市街地に向かうことになる。

 有岡城は、中世にこの地を治めた伊丹氏によって伊丹城として築かれたのがはじまりだ。のちに伊丹氏は織田信長家臣の荒木村重によって滅ぼされ、伊丹城は村重によって改修、有岡城と名を改めた。

©鼠入昌史

 ただ、村重はのちに謀反を起こし、怒った信長の大軍に包囲されて有岡城は落城。その後も信長家臣が入ったこともあったが、ほどなく廃城となって歴史からは姿を消している。

 ちなみに、村重謀反の折に説得に訪れたのが黒田官兵衛だ。官兵衛は説得に失敗し、城内に幽閉されてしまう。官兵衛はわずかな明かり取りから藤の花が咲くのを見て生きる勇気を得たというエピソードが残る。それにちなみ、官兵衛の当時の拠点だった姫路城の藤から育てた藤の花が、城跡に植えられている。