「トイレで嘔吐したんです。戻ってきても、また吐きます」
夕飯を終えたリトビネンコは早めに寝ようとした。翌日はスケジュールが詰まっていた。いつもの習慣でパソコンの前に座り、ニュースをチェックした。ベッドに入ったのは午後11時ごろだ。
横になって10分ほどしたとき、激しい吐き気に襲われた。トイレに駆け込むと、高波のような吐き気が連続してつきあげてくる。マリーナは食中毒を疑った。
「私が台所の片づけを終え、寝室に入ると、彼は気分が悪くなり始めました。トイレで嘔吐したんです。戻ってきても、また吐きます」
リトビネンコは妻を気遣い、書斎のソファで横になった。夜が明けて彼女が書斎をのぞくと、夫は呼吸がしづらそうだった。
「大丈夫?」
「一睡もできなかった。息が苦しい。窓を開けてくれないか」
「薬を買ってくるわ」
「アハメド(ザカエフ)に電話をしてほしい。彼の孫を学校に送る約束をしているけど、難しそうだ」
マリーナはさほど重篤だとは考えていなかった。ザカエフに電話で夫の体調悪化を伝えた後、普段通り、車でアナトリーを送った。帰りに胃薬を買ってきた。2カ月前にアナトリーが同じ薬を飲んでいる。
リトビネンコはルゴボイに電話をして、会合をキャンセルした。ビジネスのため二人でスペインに行く予定だったが、それも延期した。
症状は改善せず、マリーナは疑い始めた。
「食中毒にしては何かおかしい。毒を盛られたのではないだろうか」
リトビネンコは前日の飲食について、マリーナに話した。寿司店「イツ」での食事、パイン・バーでの緑茶、そして帰宅後に食べた鶏肉料理。万が一、毒を盛られたとしたら緑茶が怪しかった。「イツ」で食べたのは自分が注文した料理だ。鶏肉料理はマリーナが調理し、家族と一緒に食べている。リトビネンコは疲れた声で言った。
「ホテルのお茶は冷めていて、おいしくなかった。その席に嫌いな男がいたんだ。何という名前だったかな。ルゴボイが連れてきたんだ」
彼はコフトゥンの名を思い出せなかった。何だか気の合わない男と感じていた。