ルゴボイとの別れ
リトビネンコとルゴボイ、コフトゥンは翌日予定していた民間警備のグローバル・リスク社とのビジネスについて話し合った。それから20分ほどたったとき、ルゴボイが高級腕時計を見た。妻がそろそろ姿を見せるころだという。すると妻が8歳の息子と一緒にホテルに戻ってきた。ルゴボイは上着を着た。
「さあ、行こう、行こう」
立ちあがるとロビーに出て妻を迎えた。息子イーゴリを連れてバーに戻り、リトビネンコを紹介した。
「サーシャおじさんだ。握手しなさい」
イーゴリは素直に右手を差し出した。リトビネンコも右手を出した。ついさっきカップでお茶を飲んだ手だった。ルゴボイは家族と一緒にスタジアムに向かい、コフトゥンは「眠りたい」と部屋に戻っている。
バーの請求書によると、ルゴボイが注文したのはお茶3人分、英酒造大手タンカレー・ゴードンのジン3杯、トニック3杯、シャンパンカクテル1杯、ロメオ・イ・フリエタの葉巻。合わせて70ポンド60セントだった。
リトビネンコはその後、近くのベレゾフスキー(注:エリツィン政権時代に台頭した起業家、政治家)の事務所まで歩いた。スカラメラ(注:議会の調査分析官。過去の暗殺事件にロシア政府が絡んでいるという情報を入手していた)から受け取った書類を見せるためだった。コピーを手渡されたベレゾフスキーは南アフリカへの出張を控え、目を通す時間がなかった。
リトビネンコはザカエフ(注:チェチェン独立派幹部。アレクサンドル・リトビネンコの親友)に送ってもらって帰宅した。仕事から帰ると着替えを済ませ、向かいのザカエフ宅で一緒にお茶を飲んだり、食事をしたりするのが日課だった。しかし、この日はマリーナに言われた。「食事は家で用意しているから」と。
家族が英国に来て、この日でちょうど6年になる。彼女はそれを記念して特別なメニューを用意していた。母から教えてもらった料理で、細く切った鶏肉に卵と青菜を混ぜて小麦粉の生地で包む。リトビネンコの好物だった。体調に異常はなく、食欲もあった。マリーナは言う。
「ホテルでのやりとりについてはまったく聞いていません。この6年間の英国での出来事について話しました。英国人になって初めて迎えた記念日でした」
家族は約2週間前に英国籍を取得していた。