2000年にロシアの大統領に就任して以降、20年以上もの間、ロシアの実権を握り続けるウラジミール・プーチン。彼が関与した暗殺事件で、夫アレクサンドラ・リトビネンコを亡くした女性がいる。
暗殺事件はどのように発生し、どのように全貌が明らかになったのか。ジャーナリストの小倉孝保氏による『プーチンに勝った主婦 マリーナ・リトビネンコの闘いの記録』(集英社新書)を抜粋し、紹介する。(全2回の1回目/続きを読む)
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実行!
ちょうどそのころ、ルゴボイ(注:リトビネンコが暗殺されたと思われる場に同席したロシア人)は外出先からホテルに戻った。午後3時32分、フロントでトイレの場所をたずねている。リトビネンコに電話をかけたのは6分後である。
「早く来てくれ。待っている」
彼には家族と一緒にサッカーを観戦する予定があった。会話は39秒間だった。
当時の様子を監視カメラがとらえている。ルゴボイは険しい表情で、左手を上着のポケットに入れている。顔色は悪い。
ロビーにいたコフトゥン(注:リトビネンコが暗殺されたと思われる場に同席したロシア人)は午後3時45分、男性用トイレに消え、3分後に再び現れた。
リトビネンコの証言では、会談は当初、翌2日の予定だった。ところが、ルゴボイから11月1日朝に電話が入り、「もう到着しているので、短時間でも会いたい」と言われた。「ミレニアム・ホテルで午後5時」と決まったが、ルゴボイの希望で1時間前倒しになった。サッカー観戦のため早めにホテルを出たいという。ルゴボイはCSKAモスクワの熱心なサポーターで、試合のたびにロンドンにやってきた。ルゴボイは後にこう証言する。
「サーシャ(注:アレクサンドラ・リトビネンコの愛称)の方から会いたいと言ってきた。サッカー観戦の当日、電話を受けた。彼はこう言った。『今日会わなければならない』と」
ただ、ホテルの記録では電話をかけたのはルゴボイである。