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 この日のアーセナル対CSKAの試合会場は、ロンドン・イズリントンにあるエミレーツ・スタジアムだった。ホテルからはゆっくり行っても一時間もかからない。キックオフは午後7時45分だ。十分余裕があるにもかかわらず、ルゴボイは慌てていた。

 せかされたリトビネンコは午後3時40分、「イツ」を出て、早足で北に向かった。ホテルに着いたのは午後4時前だ。回転ドアを入ると、カーディガンを着たルゴボイがバーから出てきた。リトビネンコは気づいた。

「ハロッズで買ったカーディガンだな」

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©AFLO

 ルゴボイは4カ月前、リトビネンコを誘ってロンドンの高級百貨店に行き、Tシャツやカーディガンを買った。支払いは約700ポンドにもなった。当時の為替レートで約15万5000円である。その羽振りの良さがリトビネンコの印象に残っていた。

バーで交わされたやりとり

 ルゴボイは東側のバーを指さした。

「そこの席にいる」

 二人はバーに入った。すでに飲み物がテーブルに並んでいた。ルゴボイが壁に背を向けて座り、リトビネンコは向かいに腰かけた。隣には無愛想なコフトゥンがいた。とても疲れた様子で、「今朝、着いたばかりで、ほとんど寝ていない。眠くて仕方ない」と繰り返した。リトビネンコは彼を詳しくは知らなかった。「二日酔いなのか。あまり愉快な人間ではない」と感じた。テーブルにはマグカップとティーポットがあった。ルゴボイの腕にはお気に入りの時計が光っている。5万ドルのスイス製だ。

 新しい客が加わったのに気づいたウエイターがやってきた。

「何か飲まれますか」

「いや、いらない」

 リトビネンコは懐が寒かった。MI6から当時、月に2000ポンドを受け取っていた。物価の高いロンドンで家族を養うには十分ではなかった。

 何も注文しないのを見て、ルゴボイは言った。

「オーケー。とにかく私たちは早めに出るよ。ここにまだお茶が残っている。飲みたいなら飲んでもいい」

 ウエイターに新しいカップを持ってこさせた。そのカップにティーポットからお茶をそそいだのはリトビネンコである。

 お茶はほとんど残っておらず、カップに半分ほどになった。リトビネンコはこう証言する。

「50グラムくらいかな。何度か飲み込んだが、砂糖の入っていない緑茶で、もう冷めていた。砂糖抜きの冷たいお茶が苦手で、それ以上飲まなかった。それでも、たぶん3、4回飲んだと思う」

 ルゴボイは「サッカーの試合を見にいくから、10~15分話し合って終わりにしよう」と言った。