家庭ごとに育て方の理想を選べるようにするのが大事、という話
一般的なニーズとしての待機児童対策は進めていかなければならない一方、子供の育て方の要望は「0歳から保育園に入れたい」人たちばかりではなく、「産休をしっかりとって1歳や2歳から保育園へ」とか、拙宅のように「なるだけ両親の手で育て、3歳から幼稚園に」というようなルートだって有利不利なく容認されるべきだという話でしょう。まあ、拙宅山本家の場合は一年おきに子供ができたのでそうならざるを得なかっただけですが。ただ、育児の問題に関しては、とりわけ俺たち父親が赤ちゃんのオムツ替えてるから偉いって矮小化された話ではなくて、家庭ごとに子供の育て方の理想を選べるようにするのが制度設計上大事だ、という話にすぎないんですけどね。
とかく家事とか育児とか介護などは「どう夫婦で分担するか」という家庭内での決め事がメインで、時間のかかる送迎から母親でないとできない母乳授乳まで、家庭ごとの事情がどうしても反映される側面が強くあります。私だって、いまでこそ上の子たちが小学校に上がったので少し楽になったけど、やはりクラスメートの子をみていると学校が終わると即学童保育に行ってて疲れ果てている子や、精神的に不安定になっているけどなかなか家族のヘルプが得られない子を見るにつけ「100点満点の育児など無いのだな」と思うわけです。もちろん、立派に元気に通っている子供たちも多いなかで、習い事に来ているのに居眠りしている小学生だっています。そうなると、子供を長時間保育や学童に預けられればOKというのはあくまで制度や育児支援の入り口の問題であって、そこにいる子供の社会から受ける子供の気持ちをどこまで汲んであげられているのか、そういう学校や保育園・幼稚園に行く子供のニーズはどこにあるのか、各家庭でちゃんと話し合えているのかなあとすら感じることがあります。拙宅だって、コミュニケーションをとっているつもりでいても、でも子供と親とで認識がすれ違っていることなんてたくさんありますからね。
上は親の介護、下は子育てというサンドイッチ
おそらくは、育児は作業の塊だ、コストだ、という面を重視しすぎているんじゃないかと思うんですよね。共働きだとなかなか余裕は持てないかもしれないけど、同じく家族の問題という意味では介護のほうはよほどしんどいです。
先日も、車を運転する90歳女性が赤信号に突っ込んで死亡事故を起こしてしまう惨事があったばかりですが、激増する高齢者問題は正直待ったなしのところがありまして、拙宅山本家でも家族の介護については日々頭を悩ませる問題となっております。
以前も記事に書きましたが、40代50代というのは上は親の介護、下は子育てとサンドイッチにされる家庭も多く、夫婦二馬力で頑張って家庭を回すのも労力的に手一杯であるのに介護と育児が一度にくるとやはりいろいろ諦めなければならないことが出てきます。もちろん、結婚せずに一人で暮らしておられる人も少なくないでしょうし、幸か不幸か親御さんが介護の手を煩わせることなくサッと亡くなられるケースもありますから、全員が等しく同じような人生を歩むわけではないのでしょうが、生きていくというのは苦労と孤独とストレスをどう捌くのかという側面が強いのだなあと改めて感じます。