“役者をやっていてよかった”と思わせた夫婦の対話シーン
フランスに留学していた経験を持つ長塚と、フランス文学を専攻してきた主人公・儀助。その知的な雰囲気も含めて、長塚に近い存在に感じてしまう。
「でも、儀助にあんまり共感するところはないなあ(笑)。もちろん、なぜこの人がフランス文学を始めたかというところには興味がありますから、僕なりに彼のバックグラウンドを考えましたけれど」
長塚が儀助の人物像を考えたときに感じたのは、甘さ、傲慢さだったという。
「食事の描写についても食に対してエピキュリアンである部分を隠さないというか、むしろ自慢げに披露するみたいなところが見え隠れするでしょう? 教職者で、慕ってくれる生徒たちもいる。きっといい翻訳などもして、仕事では一定の評価を得た人間なんでしょう。ただ、一生楽をして食べていくほどの財産は築けなかった。だから精神的な優位をキープしておきたいという思いを感じたんですよね」
彼の甘さは亡き妻・信子(黒沢あすか)に対する態度にも現れている。
「儀助という男はパリに滞在していた経験があって、いわば青春の理想郷なんですよね。そのパリに信子を連れて行くと約束したけれど、結局連れて行かずじまいだった」
教え子の鷹司靖子(瀧内公美)、バーで出会った菅井歩美(河合優実)に恋心を覚えていた儀助は、ときおり信子の姿を夢想する。そのなかで、信子は静かに儀助を責める。
「好きな人の好きな場所を、最期まで共有してもらえなかった。奥さんからしてみれば“私なんか連れて行く必要がないってこと?”と恨み節を吐かれても仕方ない。そのうえで、心の愛人みたいな教え子が家にやってくるところを目の当たりにしたら、怒るじゃないですか(笑)。たぶん生きていたころに、口頭で理路整然と責め立てられたわけでもない。夢想のなかでの信子との会話は、儀助が頭のなかで構成したものなわけですよ。こうした夢想が儀助の老いであり、一種の狂気に近いようなことなんじゃないでしょうか」
『敵』は物語が進むにつれ、いつしか筒井康隆流の狂気に満ちあふれていく。映画ではその狂気がモノクロームの画面のなかで、さらに増幅されて提示される。