《「なりたくてなった公人には、どのような質問をぶつけてもかまわない」と多くのジャーナリストたちが考えている。双方にとって真剣勝負の場である。》
これは30年以上も前の本である。石丸氏はなりたくて公人になるのだろう。なりたくて公党を目指すのだろう。それならできるだけ多くの質問に答えなくてはいけない。公益を考えることにつながるからだ。
会見を「広報」と勘違いしている?
毎日新聞によると、フリーの記者約30人から申し込みがあったが、許可は「100万人相当」の基準を満たしたユーチューブ番組「リハック」などの一部メディアの記者に限られたという。石丸氏はフリーの記者が参加できなかったことについては「都民、国民の利益を考えて、できる限り多くの方に情報を効果的、効率的に届けるために、この座組み(構成)を用意した」と説明した。
なるほど、自分の主張を「効率的に届けるために」という言葉には会見を「広報」と勘違いしていることが窺える。政治とは「効率」からこぼれ落ちた人の生活とも向き合うと考えればこのコスパ重視の考え方は政治家の資質としてもかなり怪しい。今後メディアは尻込みすることなく石丸氏の安芸高田市長時代についてどんな裁判を抱えているか、当時どんなことがあったのか? など淡々と過去の足跡を検証していくべきだ。
神は細部に宿るというが、フジテレビ社長と石丸氏の記者会見はそのやり方だけでも「一を聞いて十を知る」という貴重で重要な「情報」だったといえまいか。公的な存在とは何か? について徹底して自覚が抜け落ちていた。