「息子たちが就職したら、お前とは離婚するから」…夫のふとした言葉がきっかけで、殺害を決意したある女性。それだけにとどまらず、彼女は出所後もまた別の恋人を殺害してしまう。愛した男を2度も殺害した彼女の哀しき人生とは? 2019年に東京で起きた事件を、前後編に分けてお届け。なおプライバシー保護の観点から本稿の登場人物はすべて仮名である。(全2回の1回目/後編を読む)
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乱暴な両親に振り回された幼少期
豊村千尋(当時43)は北国で恵まれない幼少期を送った。大酒飲みで暴力的な父親に殴られて育ち、金にだらしない母親は給料が入ると父親と遊びに行ってしまう。
そのまま何日も帰ってこず、小学校に行くこともできない。仕方なく自分の食いぶちを得るために新聞配達をした。その上、母親が内職に行っていたメロン農家で、その家の子どもたちの子守りも押し付けられていた。
中学を出ると、集団就職で靴の工場で働いた。この頃がもっとも自由な時間だったのかもしれないが、18歳のとき、父親ががんで倒れ、郷里に戻って面倒を見ることになった。
生活費を得るために歓楽街でホステスとして働き、21歳のとき、最初に結婚したのは客の男だった。
男は羽振りがいいフリをしていたが、結婚すると正体を現した。千尋が知らなかった借金の存在が発覚し、「水商売をして稼いでこい」と強要された。
逆らえば、殴る蹴るの暴行が待っていた。あげくに浮気され、23歳のときに離婚した。
3番目の夫
千尋は歓楽街に復帰し、また客として知り合った男と25歳のときに再婚した。1児をもうけたが、2番目の夫は仕事が長続きしないタイプで、生活が安定せず、やはり暴力や借金や浮気などが原因で別居した。子どもの親権をめぐって裁判沙汰になり、そのときに相談に乗ってもらったのが3番目の夫となる豊村博さんだった。
博さんは17歳年上の警察官で、10代の頃に職質されて知り合い、最初の結婚をする前にしばらく付き合ったこともあった。
その後、千尋は28歳で再び離婚。子どもの親権は相手に取られることになったが、入れ代わるようにして、博さんとの同居生活を始めた。
「正式に結婚するまでは世間体が悪い。昼間は外に出ないでくれ。ホステス仲間とも縁を切るように」
その命令を守った甲斐もあって、31歳のとき、晴れて博さんと籍を入れることができることになった。
だが、博さんもまた、自分の機嫌次第で暴力を振るってくる男だった。格闘技をやっているので、的確に急所を突いてくるのが厄介だった。千尋は博さんの機嫌をうかがいながら、怯えて生活するようになった。
博さんの前妻との間には10代後半の息子が2人いたが、長男はオレオレ詐欺に精を出し、次男は不登校。しかし、博さんはそんな息子たちにも無関心だった。
千尋と結婚して8カ月も経つと、だんだん飽きてきたのか、千尋ともほとんど口を利かないようになり、「オレは自由になりたい」などと言うようになった。
そして事件の1週間前、こんなことを言われた。