じつは還暦を迎えたときにも背中の一匹竜の腹を八時間かけて朱色に染め直した。この竜を彫ったのは森中義雄という竹中組組員で、右翼団体「義友塾」の塾長であった。姫路市立町にあった新竹中組本部事務所に住み込み、竹中武組長の運転手をしていた。この森中はのちに愛人を殺して自殺している。

 森中の遺した竜を染め直すことで気力の限界に挑戦し、これが華甲(還暦の意)を迎えた私の心意気だと錯覚していたのだ。

 とはいえ、やはり無理をしており、半年ほどは体がしんどかった。「われながらアホやなあ」とひとりで苦笑し、あらためて刺青と断指は生涯でいちばんの後悔だと悟った。

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 だが、その4年後に四代目の戒名を彫らせるのだから、まったく懲りていないのである。

 ちなみに田岡三代目と四代目、四代目の実弟の武氏も刺青は入れていない。そして、なるべく指を詰めさせなかった。

 私はチンピラ時代に指を飛ばしている。

 酔ったときなど、当時の親分だった坂本義一に指を見せて「誰のために飛ばした指か、わかってまっしゃろな?」などと言っていた。竹中組で若頭や舎弟頭にまでなった男になんという言い草だろうといまは思うが、私も若くて鼻っ柱が強かったのである。

 四代目からは 「その指、寝とうあいだにネズミにかじられたんかい?」とからかわれていたし、四代目の姐さんは 「侠気で落とした指も、ヘタを打って落とした指も、うちらから見たらわからへんもんね。そんなことは、これからはやめときよ」と親が子を諭すように諄々と説いてくれた。

ヤクザが指を詰める理由は…

 やくざが指を詰めるのにいい理由はひとつもない。姐さんが言うように、ヘタを打ったときだけでなく、ケンカをいさめるときなど、人助けで落とすこともある。指を差し出し、「この指に免じてケンカをやめてください」と頼むのである。前者を「死に指」、後者を「生き指」と言うが、他人にはまったく通じない。

 以前、海外のジャーナリストが断指についてやくざに質問をしているのを何かで見たが、これは「おまえの恥ずかしい失敗について説明しろ」と言っているようなものである。

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