『すばやい澄んだ叫び』(シヴォーン・ダウド 著/宮坂宏美 訳)東京創元社

 適切な性教育を受ける機会がなく、避妊の方法も、万一妊娠した場合の対処法も知らず、相談できる大人が誰もいない。そんな少女が望まない妊娠をしてしまったらどうなるか。

 日本のテレビドラマなんかだと、悩んだ末に彼女は産む選択をし、周囲のサポートでめでたく子どもが誕生し……みたいな美談に回収されがちだが、それはきわめてレアなケースだと認識しておくべきだろう。現実はもっと厳しい。

 シヴォーン・ダウド『すばやい澄んだ叫び』はそんな現実をあらためて突きつけてくる小説だ。

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 舞台は1984年のアイルランドの小さな村。主人公のシェルは15歳。1年ほど前に母を亡くし、以来父は仕事もやめて教会の寄付金集めと飲酒に溺れている。ひとりで弟と妹の世話をするシェルは今日でいうヤングケアラーだ。

 友達といえるのは同級生のブライディと幼なじみの少年デクランくらい。学校をさぼり、不良じみたこの2人と煙草を吹かしてふざけあうのがシェルのわずかな息抜きだった。

 ところがある日、予期せぬできごとが起きる。

〈生理が来ていない。だいぶ前から〉

 ブライディには相談できなかった。あきれたことに恋人だと思っていたデクランはブライディとも関係を持っており、親友との仲はこじれていたのだ。

 やむなくシェルは図書館の人体事典で妊娠の項を読み、やっと自分の身に何が起きたかを知る。一度はロンドンで中絶することも考えたシェルだったが、結局は弟と妹の手を借りて出産。だが生まれた子どもは息をしていなかった。

 ショッキングな展開である。ましてアイルランドは妊娠中絶を禁忌とするカトリックの牙城。教会の活動にのめり込む父に知られてはならず、唯一彼女が信頼をおく若い神父にも秘密は打ち明けられなかった。

〈だれかに言ったら、あたしは父さんに殺される〉

 物語はしかし、この後予想外の方向に転がっていく。シェルは死んだ子どもを自宅近くに埋葬するが、他の場所でも新生児の遺体が見つかり、ことは「双子の嬰児殺し」として事件化するのだ。かくて物語の後半はミステリーめくのだが、くだんの神父の言葉にすべては集約されるだろう。

〈ぼくたちがきみを守れなかったんだね。クールバー村の全員が。ぼくたちみんなが、きみを支えてやれなかった〉

 原著が出版されたのは2006年。その邦訳が18年後に出たのは、シェルのような事例は珍しくないのだと、ようやく認識され始めたためだろう。

 アイルランドでも2018年に妊娠中絶が合法化されたが、だからといって悲劇が根絶されるわけではない。性教育が立ち後れた日本の状況はもっとヤバい。これは過去の話でも対岸の火事でもないのである。

Siobhan Dowd/1960年、英国ロンドン生まれ。作家たちの人権擁護活動に長く携わった後、2006年に本作で作家デビュー。翌年『ロンドン・アイの謎』を発表するが、2か月後に乳癌で逝去。死後発表された『ボグ・チャイルド』でカーネギー賞受賞。
 

さいとうみなこ/1956年生まれ、新潟市出身。『妊娠小説』で文芸評論家デビュー。近著に『ラスト1行でわかる名作300選』。