昭和史研究家・保阪正康氏が、アメリカという国家の「本質」について考察する。
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アメリカン・デモクラシーを問い直す
戦後、私たちはアメリカン・デモクラシーをデモクラシーの手本として受け入れてきたが、それは占領前期と占領後期ではまったく性格を変えている。前期の方向性は民主化、非軍事化であり、後期は軍事をともなう反共主義であった。つまり、アメリカン・デモクラシーとは「アメリカの国益に合致する民主主義」に他ならず、私たちはそれを超える「普遍的な民主主義」を思考し実践する必要がある。
さらなる問題は、アメリカン・デモクラシー自体が本国アメリカで重大な隘路(あいろ)に突き当たり、日本もその影響下にあるということだ。アメリカ社会は新自由主義的な弱肉強食を極端な形で現実化してしまい、そこでは富み栄える者と貧しさのなかに置かれた人々の格差はいよいよ開いていく。そうした社会状況下、大統領選挙では、疎外された人々がトランプのほうに変革の希望を見出したのではないかというのが私の見方であった。民主党と会派を組む、左派の上院議員バーニー・サンダースが発した「労働者階級を見捨てた民主党が労働者に愛想をつかされた」という、自らの陣営を強く批判するコメントは、事の本質を言い当てていると感じ、それを引用もした。
日本のメディアの報道や識者の予想は、接戦であったり、カマラ・ハリス優位というものが多かったように思う。これは、取材力が弱くなっていることや、歴史を踏まえて現在を見る態度が欠落していることなどに起因し、総じて私たちのアメリカ観が一面的になっていることの現れではなかったか。
かくいう私もアメリカは取材で数回訪れたくらいなのだが、自分なりの知見を動員し、傑出したアメリカ人にスポットを当てながら、戦後のアメリカ像を描いてみたい。必要なことは、私たちがアメリカとして思い描く既成の社会像から一度離れてみることであろう。