1966年、静岡県で一家4人殺害事件が起きた。約60年経った2024年、そこで逮捕されて死刑が確定した袴田巌さんが、やり直しの裁判で静岡地裁に無罪を言い渡された。
証拠捏造の声が早くから上がり、長らく冤罪事件として話題になり続けた「袴田事件」。それを当初から目撃してきたのが、刑務官、いわゆる刑務所の“看守”を務めた作家の坂本敏夫氏だ。
坂本氏自身、親子三代にわたって刑務官を務めた「刑務所側の理屈」を最もよく知る人物の一人。その坂本氏が、この冬、無罪が確定した袴田さんのもとを訪ねた――。
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自分のことよりも人を思いやる態度を貫く人物
刑務官坂本敏夫が初めて袴田巌さんに会ったのは、1980年の7月。この頃、坂本は大蔵省(現財務省)へ提出する概算要求書を作るために、被収容者たちへのヒアリングをしていた。そこでも袴田さんは、他の死刑囚たちとは明らかに異なったオーラを放っていた。
「やってもいない放火殺人事件のために14年にも渡る拘禁生活で疲弊していたはずなのに、私が刑務所内における医療の改善を約束したら、凛とした態度で自分のことよりも人を思いやる態度を貫くんですね。『他にも苦しんでいる被告や死刑囚がいるので診てやって下さい』と」(坂本)
坂本は長きに渡る刑務官生活の中で数えきれないほどの受刑者と接してきたが、「この人は絶対に犯人ではない」と、このときから確信していたという。その思いに呼応するように翌年、冤罪を確信した日弁連が袴田さんの支援委員会を設置。再審請求に向けて動き出した。
やがて弁護団と支援者による幾度の再審請求が結実し、2014年についに再審開始が認められた。それと同時に釈放が命じられ、袴田さんが東京拘置所から出てくると、坂本はすぐに駆け付けて支援活動を始めた。
あれから10年、死刑判決の確定からは約44年が経過した2024年9月26日に、静岡地裁は袴田さんに対してついに無罪判決を言い渡した。



