「元・刑務所側の人間」が何より最初に伝えたかった言葉

 坂本は、矢も楯もたまらず、その生涯を弟である巌さんの無実を晴らして社会に戻すために捧げて来た姉の秀子さんに会いに浜松を訪れた。3年ぶりの再会はこんな言葉から始まった。

「今、私は袴田さんや秀子さんにかける言葉が見つからないんですよ。無罪判決おめでとうございます、とは言えない。当たり前のことなのだから」(坂本)

坂本敏夫氏 ©文藝春秋

 再審請求運動を引っ張って来た秀子さんは、湿っぽくなりそうな場を快活に笑い飛ばした。

ADVERTISEMENT

「そうね。ここまで来るのに大変だったでしょうってよく聞かれるけど、私は何が起ころうと、何を言われようとへの河童だったよ。だって巌が無実なのは知っていたし、裁判は検察庁や裁判所の都合でやっているだけなのは、分かっていたからね。今は素直に判決が出て喜んどるだよ」(秀子さん)

 坂本は無罪判決が出た日に何人もの元刑務官の同僚から電話をもらっていた。

「袴田さんを直接知っている人たちが携帯にかけてきてね。良かったね、良かったね、と私に言ってくれるんですよ。刑務官たちも彼が大好きだったから」(坂本)

 処遇係長を長く務めたある人物は、在職中から袴田事件の判決文を読み込み、証拠とされた犯行時の衣類についての不合理性を坂本に訴えていた。

 また、袴田さんの死刑執行を行っていたかもしれない東京拘置所の刑務官たちも皆、独自で文献にあたり、袴田さんの潔白を信じていたのである。

©AFLO

「犯人ではない人物の命を絶つことに、加担しなくてはいけなくなるかもしれない」という彼らの葛藤と苦しみは甚大なものだった。そのストレスからようやく解放されてもなお、検察がこの期に及んで控訴しないかという心配もあった。結果としてそれは無く、ついに無罪が確定したのである。