「俳優以外に働くことって未体験だった」人生で初めてアルバイトも経験…依存症回復までの道のり

――依存症回復までのステップというのは。

橋爪 最初にカリキュラムがあって、そこから1段階、2段階、3段階と進んでいって。全部で12ステップのプログラムになるんですけど、2段階までは依存症にまつわる学習ですね。で、3段階が就労でバイトをするんです。

 僕は食べ放題の焼肉屋と食品工場でバイトしましたけど、そのワンネスの施設でスタッフとして働く子もいました。バイト先には、薬をやってたことを話したうえで働かせてもらうんですけど。

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――あえて薬物に依存していたことを明かす。

橋爪 就労先に、「こういう経緯があって、いま施設にいます」「就労するプログラムがあって、ちゃんと働けるんで」と言うんです。アディクトって、人から与えられたものをこなすことは得意だけど、自分から行動するのが苦手な傾向があるんですね。あと、自分が依存症であることを認めることもできなかったり。

 そういったものを克服するために、自分から薬をやってたことを話すと。実際、面接で話して、採用されるとうれしいんですよ。ちゃんとプログラムを受けて、回復しているのを認められたって気がするんです。それで自尊心も上がっていくし。

 

――ひょっとして、バイトは初体験でしたか。

橋爪 そう、したことがなかったです。俳優以外に働くことって未体験だったけど、やんなきゃしょうがないんで。やる前は、うまく馴染めるのか心配だったんですけど、焼肉屋もなんとかできたし、食品工場ではおばちゃんたちに好かれて。めちゃくちゃ良くしてもらったのもあって、すんなり溶け込めましたね。

 その工場では、大学の学食や病院食用に冷凍のひじき400グラムとか卯の花600グラムを、1日に3000、4000とパッキングしてました。

「これからは罪滅ぼしをしながら生きていくんだ」俳優に復帰したい思いはあったが…

――おばちゃんたちから、「あの人の息子?」みたいなことを言われたり。

橋爪 すぐに気付いていたそうなんですけど、黙っててくれました。そこを辞めるときに、全部署を回って挨拶したんです。そうしたら、工場の方全員から「ごめんな。ぜんぶ知ってたんやで」って。気を使って、言わないでくれて有り難かったですね。

――プログラムを受けていた他の方々とも馴染めましたか。

橋爪 同年代が多くて。それもあってか「がんばっていこうぜ」みたいな雰囲気でしたね。ワンネスのプログラムは、ギャンブル依存症の人たちも一緒にやるんですけど、そっちも同年代ばかりで。いい感じでやっていけましたね。

 

――奈良にいた期間は。

橋爪 6年ですね。プログラムを3年やって、終わってからも3年ほど奈良にいましたから。奈良に来て、2年半が過ぎた頃に施設を出て、近所に部屋を借りて住んでたんですよ。

――6年の間、「俳優やりたいな」「芝居したいな」という思いに駆られませんでしたか。

橋爪 そりゃもう、最初の頃は鬱々とすることもありました。「俳優やりたい」は、ぜんぜんありました。「でも、それは思っちゃいけない」って。「これからは罪滅ぼしをしながら生きていくんだ」とまでは考えなかったですけど、どこか気が引けるというか。