マリーナは絶対に1人で行くべきではないと思った。

「弁護士と一緒に行ってもいいですか」

大使館側は条件を受け入れた。会合は22日になった。

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大使との会合の前日、マリーナはロンドン警視庁から電話を受けた。

「ルゴボイの身柄を引き渡すようロシアに要求します。発表していませんが、証拠はそろっています」

会合当日、マリーナは予定通り、人権問題を扱う弁護士ルイーズ・クリスチャンと一緒にケンジントン宮殿近くの大使館を訪れた。

毒殺で夫を亡くした妻に「お茶を飲まないのか」

静かな部屋に入って椅子に腰かけると、職員から「お茶を飲みますか」と聞かれた。

「いいえ、結構です」と答えた。夫が殺された状況を思うと、ここでお茶を口にする気にはなれなかった。しばらく待つと、体の大きな大使、ユーリ・フェドトフが姿を見せた。

「お茶を飲まないのですか」
「いいえ、結構です」

フェドトフはすぐに切り出した。

「捜査に関心を持っていることと思います」

マリーナは感じた。大使はまだ、身柄の引き渡し要求について、英国政府から連絡を受けていないようだと。

「ルゴボイ氏はロンドンに来るべきです」
「不幸にも、この事件がロシアの評判に暗い影を落としています。政府は真相の解明に関心を持っています。しかし、それはロシア検察が対処すべきです」
「事件は英国で発生しました。ルゴボイ氏は英国で真実を語ればいいはずです。ロンドンに来させてください」
「それは私の権限ではありません」

話し合いが20分ほど続いたときだった。職員が部屋に入ってきて、フェドトフに耳打ちした。大使は「失礼」と言って、いったん部屋を出た。戻ってきた彼はやけに慌てていた。

「申し訳ないが、外務省に行かねばならなくなった」

マリーナは外務省がロシアに引き渡しを要求するのだと思った。話し合いは途中で終わった。

大使は何を目的にマリーナを呼んだのだろう。

「結局、プーチンに書いた手紙への回答はありませんでした。私が行動を起こしたのを見て、落ち着かせようとしたのだと思います」