この3年後、フェドトフは大使を離任する。核による暗殺への関与が疑われる国の元大使に与えられた新ポストは、国連薬物犯罪事務所の事務局長だった。冗談としか思えぬ異動だった。

ロシアはルゴボイの引き渡しを拒否した

マリーナが大使と会ったその日、英国検察庁長官のケン・マクドナルドが発表した。

「この極めて重大な犯罪について、ルゴボイ氏の引き渡しを求める」

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さらに、殺人罪でルゴボイを起訴すると明らかにした。ロシア検察の反応は早かった。

「憲法に従い、引き渡し要求を拒否する」

ルゴボイはモスクワで記者を前に、改めて潔白を主張した。

「もう一度強調したい。私は自分が有罪であるとは考えていない。逆に、家族も私も英国領土で放射性物質で攻撃を受けた。私は被害者である。どのような証拠で起訴するのか。動機は何なのか。まったく理解できない」

容疑を全面否定し、根拠のない主張を続けた。

「私にはサーシャを殺す理由がない。やったとすれば、ベレゾフスキーかMI6かもしれない。英国政府の可能性もある」

英紙ガーディアン記者のルーク・ハーディングが立ちあがって質問した。

「MI6が殺したという証拠はどこにあるのでしょうか」

ルゴボイは質問者を指さし、叫んだ。

「証拠はあるんだ!」

しかし、証拠は示されなかった。MI6がやったとの主張は、明らかに言いがかりだった。

小倉 孝保(おぐら・たかやす)
毎日新聞論説委員
1964年滋賀県長浜市生まれ88年、毎日新聞社入社。カイロ、ニューヨーク両支局長、欧州総局(ロンドン)長、外信部長を経て編集編成局次長。2014年、日本人として初めて英外国特派員協会賞受賞。『柔の恩人』で第18回小学館ノンフィクション大賞、第23回ミズノスポーツライター賞最優秀賞をダブル受賞。近著に『ロレンスになれなかった男 空手でアラブを制した岡本秀樹の生涯』(KADOKAWA)がある。
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