プーチン批判を続けた元ロシア政府職員のアレクサンドル・リトビネンコ氏は、亡命先のイギリス・ロンドンで毒殺された。妻・マリーナさんは、夫を亡くした直後に在英ロシア大使から呼び出された。一体どんなやり取りがあったのか。毎日新聞論説委員の小倉孝保さんの著書『プーチンに勝った主婦 マリーナ・リトビネンコの闘いの記録』(集英社新書)より、一部を紹介しよう――。

写真=タス/共同通信社 ロシア・トリヤッチの無人機開発センターを視察するプーチン大統領(2025年01月28日) - 写真=タス/共同通信社

毒殺の実行犯は笑みを浮かべて会見した

ロンドン警視庁は容疑を殺人未遂から殺人に切り替えた。

ロシア検察幹部は容疑者が国内にいる場合、身柄の引き渡しは難しいと牽制し、「憲法が国民の引き渡しを禁じている」と理由を説明した。

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年が明けると、英国政府は容疑者引き渡し要求の準備に入る。有力紙ガーディアンは2007年1月26日、こう報じた。

〈政府はリトビネンコ氏のポロニウム210による毒殺事件で、ロシア人実業家の引き渡しを要求する準備を進めている。アンドレイ・ルゴボイ氏を訴追するための証拠はあると警視庁は主張している〉

検察はルゴボイを先に訴追し、ドミトリー・コフトゥンを後にする方針だった。

ロシア検察幹部が言う通り、この国の憲法は政府が国民を強制的に国外に出すのを禁じている。権力者が恣意的に追放しないよう、政府をしばるための条項だ。

ルゴボイはモスクワで記者会見を開き、潔白を主張した。

「妻や子どもを危険にさらしてまで、危険な物質を扱うだろうか。バカげている。誰かが私を陥れようとしている。わけがわからない」

身柄が引き渡される可能性はないと確信していたのだろう。笑みを浮かべる余裕を見せ、バーでのやりとりについて説明した。

「彼(リトビネンコ)は何も注文しなかった。私たちも彼に何も与えていない。それは100%断言できる」

毒殺の実行犯、ルゴボイとコフトゥンとは

ルゴボイは1966年、アゼルバイジャン・バクーで生まれたロシア人である。リトビネンコの4歳下だ。モスクワ高等軍事指揮学校を経て1980年代後半、KGBに入り、第9局で政府要人の警護を担当した。