株価も仮想通貨も過去最高値を更新、生成AIの猛威が眼前に立ち現れ、かつてなく資本主義が加速する時代。お金や市場経済はどこへ向かうのか? 人の体も心も商品化される資本主義の行きつく果てに到来する「お金の消えた経済」。その驚きの未来像を描き出す経済学者・成田悠輔さんの『22世紀の資本主義 やがてお金は絶滅する』から、一部抜粋してお届けします。
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泥だんごの思い出
こんな記憶がある。小学校一年か二年くらいの頃、泥だんご作りに心血を注いでいた時期がある。できるだけ丸く、硬く、滑らかに表面を磨き上げ、最後に細やかな砂粒をまぶす。妥協せずに突き詰めれば、金属と見紛う球体が仕上がってくる。この芸にはまことに限度がなく、泥だんご一つ作るのに何時間でも溶かすようになっていく。学校の裏庭や通学路をちょっと外れた裏道で作業して、日が暮れて品質を精査できなくなると家路に着く。
そうこうするうち、泥だんご手芸がまわりでも流行りはじめた。すると泥だんごが何かの価値らしきものを帯びていく。私は泥だんごの先駆者だったから、色とりどりの泥だんごを両手で数え切れないほど持っていた。真っ黒のだんご、きなこ色のだんご、小さな花壇で見つけた細かな白色石を埋め込んでどこまでも白に近づけただんご、マダラ模様のだんご。一つとして同じものはない。机の中には泥だんごの標本箱があった。
Taylor's_Dorodango.jpg: Kelly Taylorderivative work: Hohum, CC BY-SA 2.0 , via Wikimedia Commons
泥だんご商人の一日は長い。傷モノのだんごの盛り合わせと見事なきなこだんごを交換する。デコボコや欠点のある泥だんごこそ好きだという物好きな同級生もいた。掃除当番を不出来な泥だんごと引き換えに請け負う。近所の売店で公式発売日の前日の夕方五時に週刊少年ジャンプを買うため、人相がひどく悪い女店主に白色のだんごをつけとどける。週刊少年ジャンプは透けない焦茶色のわらばん紙袋に入れて渡され、家に帰るまでは絶対に出すなと念を押された。泥だんごを量産するための部隊も編成した。その名もギューニュー特戦隊。空の牛乳パックにだんごを入れて運搬したことにちなんだ命名だ。小学生くらいのギャグセンスの寒さは独特である。
こうなってくると、泥だんごは生活アイデンティティの核になる。泥だんごコレクションの箱を家と学校の間で持ち歩くときは、周囲をキョロキョロ見ながら細心の注意を払った。つまずいて高価な泥だんごをコンクリートの道に叩きつけでもしたら一大事だ。黒い車が横を通ると、なぜかかつてなく警戒した。