「速水健朗×おぐらりゅうじ すべてのニュースは賞味期限切れである」のスペシャルゲストに小西康陽さんが登場。ピチカート・ファイヴとして知られる小西さんは、一方で細川ふみえの「スキスキスー」「慎吾ママのおはロック」から「からあげクンの歌」まで、数々のアイドル曲やCM曲を手がけてきました。6月6日にリリースされたコンピレーションボックス『素晴らしいアイデア 小西康陽の仕事1986-2018』を中心に、“小西ワークス”の約30年間を振り返ります(前編より続く)。

(左から)速水健朗さん・小西康陽さん・おぐらりゅうじさん

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細川ふみえ「スキスキスー」の衝撃

速水 次は『伊集院光のオールナイトニッポン』の企画から生まれた匿名のアイドル、芳賀ゆいの曲。当時、高校生で僕はリアルタイムでリスナーでした。今回のボックスに収録された『…好きです』はA面ではない側で作曲・編曲ですよね。これを作った頃はもう、音楽好きの間ではピチカート・ファイヴはかなり知られた存在ではあったと思いますが。

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小西 あれは90年だから、『月面軟着陸』の年ですね。まだそこまで名前は知られていなかったと思いますよ。そのあと、93年に初めてCMのタイアップがついた「スウィート・ソウル・レヴュー」を出しましたけど、それでも売れてるという実感はなかった。

速水 え、そんなですか? 「スウィート・ソウル・レヴュー」は、チャート上位にも入って、ファンがさびしがるくらいの大ブレイクでしたけど。

 

小西 売れた実感というのは、やっぱりインカムが入ってこないとわからないので、自分ではそれほど感じてませんでしたけどね。

おぐら 個人のお仕事としては、その直前、92年に細川ふみえの「スキスキスー」があります。これは衝撃でした。

速水 80年代のアイドルポップとは地続きではない、新しい90年代感があるポップス。

小西 彼女はグラビアアイドルだったので、そういうイメージで作りました。

速水 グラビアアイドルが歌う曲でもなかったですよね(笑)。それを超越したポップスター感がありました。

おぐら 僕はこの当時12歳で、小西さんのことはまだ知らず、歌詞を聞いてもミュージックビデオを見ても、とにかく大人のいやらしい世界だと思いました。言いづらい表現ですが、生身なのにセックストイ的な匂いがするというか。

小西 いや、でもほんとそうなんですよね。この曲を出したあと、高浪(慶太郎)君がレンタルビデオのお店に行ったら、アダルトコーナーに『ズキズキズー』っていうタイトルのビデオがあったって言ってましたから。

おぐら AVにタイトルをパクられたら、世間に届いた証ですね。

小西 はい。僕もそれで「これは大衆にアピールできたんだな」と思いました。

速水 ちなみに、その『ズキズキズー』は、ご覧になったんですか?

小西 それが見てないんですよ。

おぐら 小西康陽マニアは、どうにかして手に入れないと。

 

速水 〈アナタの隣の男性 ワタシのことギラギラ見てる〉〈スキスキス スキス スキス〉って、強烈な歌詞ですよね。

小西 今はセクシャルなことにも非常に過敏な時代ですが、僕がすごく尊敬している浜口庫之助さんとかも、露骨にそういった曲をたくさん書いていましたよ。

おぐら 最近行ったスナックで、年配の人が歌う演歌を聞いた若い子たちが、「なにこの歌ひどい」「サイテーの男じゃん」って言ってました。

小西 奥村チヨさんがイメチェンに成功した曲のタイトルは、まんま『恋の奴隷』ですからね。

おぐら 〈邪魔しないから 悪い時はどうぞぶってね〉〈右と言われりゃ右むいて とても幸せ〉という。

速水 当時のムード歌謡、演歌は大人のものだったので何かしら治外法権というか。