植物たちの“盗み聞き”
上橋 もうひとつ、ぜひ先生にお伺いしたいことがありまして。塩尻かおり先生が『かおりの生態学』という本で、セージブラシの研究についてお書きになっていますね。血縁がある個体同士のかおりのやり取りは、血縁関係にないものよりもコミュニケーションしやすい、と。それは遺伝子の観点からは納得がいくんです。でも、一方で、髙林先生と塩尻先生が出演されていたNHKスペシャル『超・進化論』という番組では、確かマツとカシ――つまり、血縁どころか種類さえ違う植物のコミュニケーションを紹介されていて。
髙林 イスラエルの研究ですね。マツの木の両脇に、黒い布で覆って光合成できないようにしたカシの木を植えるという。
上橋 そうです、そうです。土の中に作った仕掛けが重要で、片方のカシの木はマツとの間をメッシュで仕切って、根は通れないけれど菌糸は伸ばせる状態にする。もう片方は、マツとカシの間をプラスチックの板でバシッと遮ってしまう。
髙林 その状態で半年間置くんですよね。
上橋 ええ。黒布に覆われたカシの木は光合成できずに枯れるはずで、実際プラスチックでマツとの間を仕切られていたカシの木は枯れてしまったけれど、なんと、メッシュのほうは生きていた。マツの木の根から菌糸が伸びて、カシの木に養分を与えていた、と。マツとカシ、別の種類の植物ですよね。こういうことが自然界で行われているのなら、異なる種類の植物とも助け合うような、多様で広いネットワークが、この世界には存在しているのかもしれませんね。
私たち「人」の物の見方で考えていては、なかなか気づくことができないことが、この世界には存在しているのでしょうね。
髙林 おっしゃるとおりですね。我々は目が2つ、心臓は1個、肺は一対といった一定数の機能分化したユニットからできている生物です。対する植物は、葉と枝のモジュールの組み合わせでできた生物です。ユニット生物がモジュール生物を直感的に理解するのは基本的に無理なんです。上橋先生の描かれるファンタジーには「異世界」というキーワードがよく出てきますよね。実際この世には、我々にはわからない「植物の世界」があるのだろうと。その世界では、植物の同種もしくは異種間でコミュニケーションをやっているけれど、私たち人間からすると、植物は静かに佇んでいるだけにしか見えない。
上橋 そのお言葉がもつ意味は、とても深いですね。「ユニット生物がモジュール生物を直感的に理解するのは基本的に無理」であるがゆえに、この世には私たちにはわからない「植物の世界」がある……。私たちは「人間には理解しがたくて、想像もつかないものがこの世界にはあるのかもしれない」と常に心に置いていなければ、ですね。
髙林 そうですね。しかし、全然違う世界ではあるけれども、概念としては人間も植物も通じ合うところがあります。例えば助け合うとか、だますとか、立ち聞きするといった相互作用の概念です。植物間コミュニケーションってもともとは“立ち聞き”だったと考えられてます。お隣さんが出した「害虫に食われているから助けて」という「におい=声」を隣の植物が立ち聞きして、「ヤバそうだから早めに対策しておこう」と防御モードに入る。これがご近所さんではなく血縁関係だと、親が子を保護するような、より複雑なコミュニケーションが発生します。