2016年、北海道日本ハムファイターズは、首位・ソフトバンクに11.5ゲーム差をつけられたにもかかわらず、パ・リーグ優勝を果たす。さらに日本一も達成した。その原動力とは何だったのか――。
 

ベストセラー『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』の著者、鈴木忠平氏の新連載「No time for doubt ―大谷翔平と2016年のファイターズ―」の冒頭を一部紹介します。

◆◆◆

「優勝を疑った瞬間はない」

『もう2位は要らないわけです。だから11.5ゲーム差を開けられた時も、勝てるかどうかなんて考えていない。ひっくり返すことしか考えていない。優勝を疑った瞬間はないです。逆に言えば、ずっと疑っていたのかもしれない。つまり、勝てるかどうかではなく、勝つためにやっているだけなので。僕は勝つために逆算して、手を打ち続けるだけなんです。8月の後半から9月に入るところで、優勝がはっきり見える状態まで持っていってあげたら、あとは選手たちが勝手に走り出す。こっちの仕事はその気にさせることなんです。

 そのためにはどこかのタイミングで、アウェーの福岡でインパクトのある3連戦3連勝をしないと、何かきっかけをつくらなければ、優勝はないと思っていました。そこで考えていたのが、あの作戦です。偶然に思いつきでやったわけではなくて、1カ月以上前から練っていた。そして、あそこですべての条件が整った。神様がやれと言っている。だから、前の日に翔平を呼んで話したんです』(栗山英樹)

ADVERTISEMENT

2016年の大谷翔平 Ⓒ文藝春秋

「翔平を呼んでくれるか」

 栗山英樹はチーフマネージャーの岸七百樹(なおき)にそう告げた。2016年7月2日、福岡ドームでのデーゲームが始まる前のことだった。

 試合前のベンチ裏は慌ただしく人が行き交い、まるで早回しのように時間が流れていく。ミラールームでスイングする者がいれば、トレーナー室のドアをノックする者がいる。サロンでリラックスする者がいれば、ロッカールームで祈る者がいる。誰もが、あと数十分後に始まる試合に向かっていく中、栗山はひとり明日のことを考えていた。眼前の一歩ではなく、およそ半年間に渡るペナントレースの最後にどんな一歩を踏み出せるかに頭を巡らせていた。奇跡は起こる。どうすれば選手たちにそう信じさせることができるのか。北海道日本ハムファイターズ指揮官としての栗山の葛藤はそれに尽きた。

 このデーゲームが始まる前の時点でファイターズは3位につけていた。貯金11を積み上げ、十分に優勝圏内の数字を残していた。だが、首位を走る福岡ソフトバンクホークスはその遥か先にいた。6月の半ばには最大11.5ゲーム差をつけられた。そこからファイターズは逆襲を開始し、現在8連勝中だったが、それでもまだ王者との差は8.5ゲームも開いており、その背中は遠く霞んでいた。そこに栗山のジレンマがあった。

 80年にもなるプロ野球の歴史において、11ゲーム以上離されたチームが逆転優勝を飾った例は数えるほどしかなく、どれもが「ミラクル」と形容されるものであった。つまり、ここから自軍がホークスを捉えることはほとんど不可能だと見られていた。