雪耐梅花麗

「寺を造って人々に喜んでもらうために働いている」

 カープはオーナー企業だから、一人では何もできない。 矜持があるとすれば、ずっと人の心が休まる寺を造ろうと考えながら石を運んでいることだ。東洋工業にいたころ、鈴木は先輩からこう教えられたのである。

 「ある旅人が石を運んでいる人々に、『何をしているんですか』と尋ねた。一人が『私は石を運んでいます』と言い、二人目は『塀を作っています』と答えた。ところが、三人目の男は、『私は寺を造っています。みんなの心が休まるような』と答えたというんだ。 同じ仕事でも、三人目の男は、目的をはっきり持って石を運んでいる。単調な仕事でも、いつも何のためにやっているのか、ということを考えなくてはいけない。寺を造って人々に喜んでもらうために働いている、というような意識だよ」

 球団本部長という仕事は褒められることがない。トラブルの処理や煩雑な契約、選手の獲得、整理といった地味な積み重ねの毎日だ。それでも先輩の言葉がどこかに残っているから、何でもやってきたし、屈辱や衝撃的なことがあってもぐっと我慢できている。ずっと先の目指すものを見失ってしまったら耐えられない。心が休まる寺─野球の世界で言えば、ただ勝つというだけでなく、ファンを心の底から突き動かすような育成球団を生み出すために、今を生きているのだ。

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「雪に耐えて梅花麗し」

 カープのエースだった黒田博樹は入団したときに、1イニングに10失点した屈辱を味わっている。そこから這い上がった彼は「耐雪梅花麗」を座右の銘とした。

 2007年に彼を大リーグに送り出すとき、鈴木は黒田にこんな言葉を掛けた。

「お前がバリバリでは、広島に帰ってこさせることができない、でもボロボロでは帰ってくるなよ」

 最後の力を広島で見せてくれ、というのだ。

 鈴木は大リーグで活躍していた黒田がカープに戻ってくることを夢見て、ドジャー・スタジアムのバックネット裏に出かけ、力投する黒田を見守った。黒田がヤンキースに移籍すると、1勝するたびに投球の印象や応援の言葉を記したメールを黒田投手に送信し続けた。その一方で、黒田投手がカープで付けていた背番号「15」を空けて待ち続けていた。

 それから7年。ヤンキースにいた黒田がいきなり、「(カープに)帰ります」と電話してきた。契約書をファックスで送ってきたとき、鈴木はそれを手にオーナーの元のところに駆けつけた。両手で大きくマルを作って、戻ってきますよ、と無言の笑顔で告げる。元は驚きのあまり、飲んでいた野菜ジュースのパックをボトリと取り落とした。

 25年ぶりの優勝にこぎつけ、平和大通りの3キロをゆっくりパレードしたのはそれから2年後のことである。

「サラかん」ならぬ、「サラほん(本部長)」の鈴木がその喜びをかみしめた一瞬だった。もしマツダに残っていれば、彼は幹部の要職を占めたであろうが、ファンの人々は親たちの遺影を家々から持ち出し、パレードの沿道高く掲げて、「ありがとう!」と呼び掛けた。あんなに喜んでもらえる転職はあるのだろうか。

 その黒田はいま球団アドバイザー、緒方は野球評論家だ。かつて二人がチーム作りを話し合うと、黒田は精神論を、緒方はいつもチーム作りの具体論を語った。緒方はこうだ。

「野球はピッチャーですよ。いいピッチャーを獲って下さい。野手は作れますから。球団にカネがないなら、素材のいい選手を獲って育てましょうよ。他球団とおなじことをしたら、カープの価値がなくなりますからね」

 一方の黒田は「みんなの気持ちが一つにならないとだめですよ」と言った。

 優勝は一人の監督だけでは容易に成し遂げられないプロジェクトである。セ・リーグ三連覇を果たした後、カープは6年間、優勝から遠ざかっている。カネのない球団にとって道は遠い。鈴木が言う。

「カープというチームは、選手がコーチへと育ち、監督にもなる球団で、次に繋げてやろうっていう気持ちをみんなが持っている集団なんですね。辛抱が必要なことをみんな知っている」

 さて、今年はどうだろう。鈴木にとっても、ファンにとっても辛抱が必要なのか、それとも「ありがとう」の声が波のように寄せる年になるのか。

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清武 英利

文藝春秋

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