『サラリーマン球団社長』は、サラリーマンをめぐる波乱の転職顛末記でもある。彼らは球界で不思議な光景を見、実力社会で生き抜く言葉に出会い、自身も言葉の力に目覚めていく。

 彼らが出会った言葉や苦闘の途上で思わず漏らした言葉を紹介しながら、転職が自身と組織に何をもたらしたか、改めて考えてみたい。(文中敬称略)(前後編の後編/前編から読む

『サラリーマン球団社長』清武 英利(文春文庫)

獲られたら、また作る

「大木がなくなれば、そこに陽が差し、また新しい芽が出るじゃろ」

 カープの歴史は育てた選手を他球団に獲られ、また育成をするという繰り返しだった。それを同情する記者に、鈴木は「獲られたら、また作るからええんじゃ」と答えてきた。

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 「大木がなくなれば、そこに陽が差し、また新しい芽が出るじゃろ。ハゲ山に見えるが、眠った才能はたくさんある。手にある財産を大切に育て、花を咲かせて見せるわ。勝つことは必要じゃが、どうやって勝つかも大事じゃないか」。

 終いに、負けてたまるかの精神じゃ、と胸を張ってみせた。

緒方孝市の残留を決めさせた焼肉丼

「わかりました。もう、いますから」

 1999年秋のことだ。FA権を獲得した主軸の緒方孝市が巨人監督の長嶋茂雄から3年10億円という破格の条件で誘いを受けた。カープの三倍以上で流出する寸前だった。そのとき、残留交渉を始めた鈴木は、緒方にこんな約束をさせた。

 「決めるのはいいけど、決めた、と電話してくれるなよ。決めようという段階で言ってくれ」。そうやって押し返し、最後に緒方が、私はもう決めようと思います、と言い出すと、鈴木は自宅に招いて、妻が作った焼肉丼を緒方と二人で食べた。条件提示もないままだ。緒方はしばらくして電話してきた。

「わかりました。もう、(カープに)いますから」

 それから8年が過ぎ、けが続きの緒方は「今年でやめます」と電話してきた。鈴木は緒方の突然の言葉に、胸を貫かれて立ち尽くした。

 引退なんか、だめだ、待ってくれ! 「FAのときも、俺には決める前に言ってくれと頼んだじゃないか」

 自分で勝手に引退を決めて、いきなり言い出すなんてひどいぞ、どうして俺に相談してくれないんだ、というのである。「いや、絶対にやめてはだめだ」とも言った。

 「新球場もできるんじゃ。そこでプレーするのを楽しみにしていたじゃないか。それまで頑張ってくれ」

 鈴木はもう緒方に掛ける言葉がなくなって、 「いまトレーナーと一緒にリハビリに取り組んでいるんだろ。引退のことを話したか?」と尋ねた。すると、緒方が言った。

 「彼は涙を流していました」「そうだろう。トレーナーはどれほどお前の復帰を夢みてるか、なぜ懸命にリハビリに付き合っているのか、その気持ちも考えてみろよ」

 ーー俺は緒方の復帰を強く願うファンの一人なんだな。 鈴木はそう感じていた。

「失敗したら、俺が責任を取るよ」

 マツダスタジアムの監督室に入った球団本部長の鈴木が声をかけた。緒方がカープの監督に就いて2年目、2016年の開幕直前のことだった。鈴木の心の昂ぶりのようなものを緒方は感じ取ったのだろう。はっきりした言葉で返してきた。

「何を言っとるんですか! 一蓮托生ですから」

 鈴木は常務取締役の立場にあり、監督やコーチは一年契約の個人事業主として雇われている。どんな球団でも、フロントとチームとの間には川が流れている。だが、その年は向こう岸との隔たりが手の届くところにまで近づいたように思えた。自分も全員のひとりだと信じられるような出来事が続いた。

 チームがうまく回り始めたころに、緒方とのやり取りが鈴木の胸に戻ってきた。俺が、お前が、というのではなく、「全員で優勝を」と、誰ともなしに言い出していた。