カポーティーの「冷血」、沢木耕太郎の「テロルの決算」の手法
ドキュメンタリーのディレクターは、取材を終え編集・構成をしていく過程で、今度は表現者としての能力が問われる。
膨大な取材テープを正味50分の番組にしなければいけないのだから、相当頭を悩ましたに違いない。是枝は、当時のドキュメンタリー業界にあった「視聴率が良くなくても、社会告発や行政批判など、取り上げている題材自体に意味がある」という風潮に反発し、エンターテインメントとしても「僕自身が面白いものと思うもの」を作るために、トルーマン・カポーティーの「冷血」や沢木耕太郎の「テロルの決算」の手法を取り入れたと語っている。
結果、その構成は考え尽くされたものだった。現在の基準からすると、ナレーションのスピードが速く、全体に情報量が多いと感じてしまうが、これは当時よりも今の方がテレビの「わかりやすさ圧力」が強いのと、是枝が取材した内容を出来るだけ詰め込みたかったからだろう。前半はしっかりと内容を頭に入れないとついていくのが難しい部分もあったが、自殺した二人の主人公の人生が徐々にわかっていくにつれ、ぐいぐい惹きこまれる。圧巻はラストだ。「しかし…」という番組のタイトルは、文学青年だった官僚の山内氏が15歳の時に書いた詩のタイトルを借りている。山内氏は「しかし…」という言葉を自分の拠り所にしていた。ある種の理想主義で、何かに流されそうになっても、自らの原点に立ち戻ろうとする決意表明のような詩だ。だが、この番組を通してわかるのは、理想主義を現実主義が覆い尽くし、「しかし…」と立ち止まって考えることが出来なくなっている社会の状況なのだ。
「しかし…」と「だけど…」
ラストのナレーションが、あまりにも素晴らしかったので紹介する。
《年齢を重ねていくにつれ、人は「しかし…」という言葉を自分の中から失っていく。
そして、その言葉を「だけど…」という言葉に変えながら生きていく。山内は、それが許せなかったのかも知れない。「しかし…」と言えなくなった53歳の自分を、15歳の自分によって裁いてしまったのではないか。「もう一度返してくれ」という山内の叫びは、自分に向けてのものだったのか、「だけど…」という時代へ向けてのものだったのか。福祉切り捨ての時代の中で、「しかし…」という言葉が山内の中から消え、時代からまた一つ、「しかし…」という言葉が消えた。》
いま日本の社会で起きていること。
森友問題に加計問題、悪質タックル問題。すべて、当事者や関係者が、「しかし…」と考えて立ち止まることなく、「だけど…」を選んだことで起きた問題ではないか。「だけど…」とは、組織の圧に流され、自らの思考を封印してしまう態度である。
是枝裕和は世界屈指の映画監督となったが、やはり原点はドキュメンタリーディレクターだ。時代や表現手段が変わっても、是枝は多くの人が見過ごす社会の違和感を、描き続ける。