当時はインターネット通販もスマートフォンも普及していない時代だから、“絶海の孤島”で欲しいものを手に入れるのは、ちょっと苦労しました。青ヶ島は東京都なので、当時からテレビは東京本土と同じ番組が放送されています。だから最新のゲームや漫画、音楽の情報はすぐに入ってくるのですが、ゲーム屋はもちろん、CDショップや書店もない青ヶ島では簡単には手に入りません。
だから私は、本土に住む親戚に送ってもらったり、一番近い八丈島の書店に電話注文したりしていました。その頃は村役場に各家庭専用のポストがあって、島外からの配達物はそこに届けられていました。ちなみに新聞も役場に配達されるから、船便で運ばれてくる数日遅れの新聞を、毎朝、村役場まで取りに行っていましたね。
買い物といえば、私が子供の頃は日用品や食品を扱う商店が2軒あったんですよ。でも人口が減って、商店は島内にひとつだけになってしまいました。
中学卒業後、青ヶ島を離れて本土の女子校に進学した経緯
そんな青ヶ島で中学生まで過ごしていたから、東京本土への憧れはすごくありました。先ほども話したように、青ヶ島には高校がないので、進学と同時に島を離れなければいけません。私は東京本土の女子高に通うことになったのですが、とにかく本土に行くのが楽しみでした!
青ヶ島には女の子の同級生がいないし、CDも漫画も雑誌も、そして服も売っていない。当時の私は、「CUTiE」や「Zipper」といった原宿系の雑誌が大好きで、よく八丈島の書店から取り寄せていました。
ただ、「この服かわいい!」と思っても、ネット通販が普及していなかった頃の青ヶ島では、手に入れるのがほぼ不可能。だから、「高校生になったら、女の子の友達をつくって一緒に原宿や下北沢の古着屋さんに行くんだ」と夢見ていました。
夢を叶えるために、中学3年生のときには毎日のように放課後の学校で同級生たちと一緒に勉強していました。青ヶ島には塾がないので、分からないところがあったら友達同士で教え合ったり、学校の先生に聞いたりしていましたね。それでも足りない部分は、夏休みだけ本土の塾の短期講習に通って補ったりして。
