実際、立川は首都圏での大規模災害時の活動拠点として想定されており、この一帯は立川広域防災基地という。映画『シン・ゴジラ』でも、都心がゴジラに焼き尽くされたあとは立川に首都機能を移していた。

 
 

 駅前のほんの狭い一角だけでは推し量れない、この立川の独特な立ち位置。これは、この町の歴史によってもたらされたものだ。

 古く、立川駅周辺は畑や雑木林が広がるような、いわば何もない一帯だった。典型的な“武蔵野”の風景といっていい。いまの駅周辺の市街地に近い町というならば、南側の多摩川沿いには甲州街道の日野の渡しがあったし、北には五日市街道沿いの町があった。

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 が、立川駅周辺はまったく不毛の地。だからこそ、現在の中央線は周囲の事情を無視して一直線に線路を敷くことができたのだろう。

人口が一気に6倍に!変化のきっかけは…

 1889年に立川駅が開業したことで、北側を中心に多少は町が形成されたという。ただ、その規模はあまりに小さく、農村地帯という本質は変わらなかった。