戦争が終わった後、「軍都」はどうなった?

 そんな軍都・立川は、戦争が終わると基地の町になる。立川飛行場がそのまま連合国軍に接収されたからだ。米兵向けの飲食店やバーが建ち並び、立川には米兵を相手にする夜の女性たちもやってくる。特殊慰安施設協会、いわば公設の慰安所も置かれていた。

 戦前は将兵や工場の従業員を相手にしていた立川の歓楽街は、戦争が終わって今度は米兵たちを相手に商売をして、繁栄を保ったのだ。是か非かというよりは、歴史の中の1ページである。

 昭和30年代には米軍立川基地の拡張計画に住民たちが反対した「砂川闘争」も起こっている。地元住民と警官隊が衝突するほど激しいものだったが、結局基地の拡張は中止となり、1969年に立川基地での飛行機の発着はすべて停止されている。

ADVERTISEMENT

 そして、1977年に米軍は横田基地に移転し、立川基地は全面返還。一部を自衛隊がそのまま使用しているほか、国営昭和記念公園などに生まれ変わった。

 

 そうした基地跡の一部が転じたのが、ファーレ立川や多摩モノレールの高架沿い。いずれも平成になってから開発されたエリアだ。戦後の立川には、昭和30年代後半に第一デパートや菊屋ビルディングといった、いかにも昭和らしい商業ビルがいくつも並んでいた。

 しかし、いまや昭和の面影はほとんど消えて、基地の跡も再開発。昔の立川を知る人ならば、まったく見違えてしまったと言うのだろうか。だが、そうした町の中にも歴史の痕跡はあちらこちらに残っている。モノレールの開通もあって交通の利便性はますます高まって、いまも人口は増加中だ。

 

 そして、半ば小国の首都かのような、それでなくても地方の大都市のような顔をしている駅前から、15分も歩けば静かな住宅地が待っている。独立性の高い小都市でありながら、東京郊外の駅前らしさも持つ。そして、飛行機の町・基地の町としての歴史もそこに刻まれる。立川は、東京都下、多摩地域にあってはいちばんに個性的な町なのかもしれない。

写真=鼠入昌史

◆◆◆

「文春オンライン」スタートから続く人気鉄道・紀行連載がいよいよ書籍化!

 250駅以上訪ねてきた著者の「いま絶対に読みたい30駅」には何がある? 名前はよく聞くけれど、降りたことはない通勤電車の終着駅。どの駅も小1時間ほど歩いていれば、「埋もれていた日本の150年」がそれぞれの角度で見えてくる——。

 定期代+数百円の小旅行が詰まった、“つい乗り過ごしたくなる”1冊。

ナゾの終着駅 (文春新書)

鼠入 昌史
文藝春秋
2025年3月19日 発売

次のページ 写真ページはこちら