東京で妻と子ども2人と幸せに暮らす、主人公の高山道雄40歳。漫画家としての仕事も順調で、何の問題もない人生を送っているように見える。が、実は高山は“ある悩み”を抱えていた。
彼を悩ませるのは、15歳上の長兄の存在。両親が他界し、ゴミ屋敷のように荒廃した岐阜の実家で、長兄は孤独な“引きこもり生活”を送っているのだ――。
30年ものあいだ実家で引きこもり続ける長兄を描いた実話マンガ
漫画家・宮川サトシが、30年ものあいだ実家で引きこもり続ける長兄を描いたマンガ『名前のない病気』(小学館)が話題になっている。
ノンフィクション作家・石井光太氏、漫画家・押見修造氏、「街録ch」ディレクター・三谷三四郎氏を審査員に迎えて行われた「第1回 スペリオールドキュメントコミック大賞」(2024年)で大賞を受賞。その衝撃的な内容が、SNSで大きな反響を呼んだ。
「今回の作品は宮川さんの実体験をもとに描かれているのですが、読者からは『うちの家族もそうだった』という声が多いです。親戚とか、仲の良い友だちの家族が引きこもりだった、という読者もいました。“自分事”と捉えて読んでいただけているのかなと。それだけ、作者の宮川さんが作品に込めた意図とか、原稿からほとばしる迫力が読者に伝わっているのだと思います」(担当編集の山口翔さん)
「これを描かないと人生終われない」
これまで「家族」をテーマに、ほのぼのとしたエッセイ漫画を描いてきた宮川氏だが、長兄のことは決して描かなかった。なぜ今回、その長兄を描いた作品を世に送り出すことになったのか。
「以前からお兄さんの話は聞いていて、宮川さん自身も『いつか描きたい』とおっしゃっていたんです。『これを描かないと人生終われない』と言うほど、彼の中であたためてきたテーマだった。それが今回、いろいろなタイミングが重なって連載をすることになって。
編集者としても、これまで幸せな家族をコミカルに描いてきた作者が、シリアスなテーマと対峙したときに、どのように作品として消化して伝えるのか、とても興味深かった。だから私も『ぜひやりましょう』と伝えました」(同前)
リアルに伝わる家族に対する“矛盾した気持ち”
作中では、宮川氏の長兄に対する“複雑な感情”が、主人公の高山を通して生々しく伝わってくる。引きこもり生活を続け、両親が遺した実家をゴミ屋敷化させている長兄への怒り。その一方で、肉親を荒廃した実家に放置していることへの罪悪感。
印象的だったのは、長兄のことを「嫌い」と言う娘に対して、高山が「何も知らないお前が、あの人のことを悪く言っちゃいけないだろ!」と叱責するシーンだ。
「自分が家族をうっとうしく思っていても、何も知らない部外者に親やきょうだいを悪く言われると、カチンとくるじゃないですか。高山が娘を叱責する場面は、まさにそれが描かれているんですよね。家族に対する“矛盾した気持ち”がリアルに伝わってきます」(同前)
家族旅行の当日、朝起きたら長兄が包丁を持って…
話が進むにつれて、長兄が引きこもりになった“きっかけ”が明らかになる。ネタバレになるため詳細は控えるが、主人公の高山が、長兄との過去を回想するシーンは、かなりショッキングだ。
「家族旅行の当日、朝起きたら長兄が包丁を持って立っていて、『お前ら全員殺してやる』と言い始める。それを次兄が蹴り飛ばして、何事もなかったかのように家族旅行へ行く……というシーンから始まる過去の回想は、第1巻のピークだと思います。宮川さんが抱えてきた家族の問題が、読者にも生々しく伝わるのではないかと」(同前)
今後、宮川氏は長兄とどのように向き合っていくのか。引きこもり当事者が約146万人いると言われる日本社会で、彼が抱える問題は決して他人事ではない。
「家族の引きこもりは社会問題として顕在化していて、今後さらに深刻になっていくと思います。当事者である宮川さんは、兄の引きこもりという現実に対して、どのように向き合っていくのか。宮川さんと長兄の問題は現在進行形で進んでいる話なので、読者の方にはそれをリアルタイムで追いかけてもらいつつ、何かを考えるきっかけになれば嬉しいなと思います」(同前)
