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そう語っていたのは、先述の音楽プロデューサーの小西良太郎だった。小柄な体なのに、レコーディングのとき声量を示すメーターの針の揺れは異常に大きかった。あの独特の、だみ声のような暗い怨念を秘めた歌声は、天性のものだった。まるでワアワアと、カラスでも鳴いているような不思議な声だったという。
類いまれな才能が開花したのは、彼女がデビューした「新宿」という街が宿す風土もあるにちがいない。ホステス、フーテン、ヒッピー、アングラ劇団……。彼らが持っていた反骨、疎外感、痛み、やりきれなさなどをも共有していた。その意味では、彼女の存在自体がすぐれて新宿的だったともいえるだろう。
音楽業界の変化からも予測できた「藤をめぐる不幸」
藤をめぐる不幸は、音楽業界をめぐる変化からも予測できた。
80年代以降、歌を巡る風景は大きく変わった。貧困、地方、因習、孤独……。演歌や歌謡曲が担い、多くの日本人が抱えていた負の心情は薄らぎ、時代が見えなくなったのである。「怨歌」を歌えば歌うほど、社会や時代とのギャップを藤自身が感じただろう。
高層階から飛び降り自殺した藤。マンション前の路上で仰向けのまま倒れ、頭から血を流しているのが見つかったのだが、目撃者によると、藤の顔は安らかだったという。
マンションは藤の知人の男性が購入したもので、藤は居候のような形で暮らしていたらしい。マスコミはあれこれスキャンダラスに騒いだが、2人に「男女関係」はなかった。