「相手の顔」を意識する

 テレビだけではなく、政治の世界からも「喋り」が消えてきていますよ。国会中継を見ていると、先生方は喋りがお粗末だね。立派な環境で育って、立派な教育を受けてきたんだろうけど、あんな答弁じゃ叩かれてもしょうがないな。相手のことをちゃんと見ていないもんね。会話っていうのはやり取りですから、相手の話も聞かないと。

引退後のみのもんた氏(2024年撮影) ©文藝春秋

 要するに喋りに必要なのは、「相手の顔」を意識することだと、僕は思うんですよ。テレビやラジオで喋っていると「喋っている相手が見えないだろう」とよく言われます。でも僕には見えるんですよ。見えるから、喋ることが出来る。口調は乱暴でも唐突でもいいんだけど、言葉で誰に何を伝えたいのかということを意識するべきなんです。

 53歳の時、TBSで「学校へ行こう!」という番組が始まったんです。僕が校長先生役としてMCをやって、共演のV6の子達は半分がまだ10代で、40近くも年が離れていました。でも、会話していても全く違和感はなかったし、楽しかったですよ。彼らはきちんとした会話のトレーニングや教育を受けていて、テンポがあって明るくて、ちゃんと相手を見て会話が出来る子達でした。

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みのもんた氏 ©文藝春秋

 はっきり言って、最近はテレビが嫌になって、活字を読む時が一番ほっとするんですよね。新聞と週刊誌をちゃんと読むことを心掛けていますが、「春秋」や「天声人語」を読むと「すごいな、どんな人が書いているのかな」と思う時があります。何字とか何行とか限られたスペースしかない中で、ちゃんと起承転結をつけているんですよ。しかも喋りの「間と緩急」と同じで、活字でも「行間に滲む思い」というものを感じます。

 近頃はアナウンサーあがりの司会者が増えてきたんだから、彼らにはもっとテレビの中の言葉を良い方向に持っていってほしいですね。

※本記事の全文(約8800字)は、文藝春秋のウェブメディア「文藝春秋PLUS」に掲載されています(みのもんた引退宣言「テレビはやめても銀座はやめない」)。全文では下記の内容をご覧いただけます。
・俺もこの世界にいたのにな」
・酔った勢いでアテレコ
・「お嬢さん!」
・奇声、歓声、罵声
・同世代がどんどん……
・アイ・シャル・リターン

みのもんた氏による「独占手記 私はなぜここまで嫌われたのか」も合わせてお読みください。

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