3月1日に死去した、みのもんた氏は2020年に引退する際、テレビ界で消えゆく“喋りの文化”について憂いを語っていた。「文藝春秋」が掲載したインタビューを振り返る。

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「奇声、歓声、罵声」

 30年もテレビで仕事してきたけど、この世界もだいぶ変わっちゃいましたね。最近危惧しているのは、「喋り」というものがテレビの中からどんどんなくなってきているということです。

 本当の喋りには「間と緩急」というものが必要なんですよ。ですが最近は、機関銃のように言葉をまくしたてて、それをぶつけ合うというのが、どんどん主流になってしまったような気はしますね。

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みのもんた氏はゴルフの愛好者としても知られていた ©文藝春秋

「これはひょっとしたら、テンポがあって良いということなのかな?」と考えたこともあったんだけど、どうやらテンポというものでもないみたい。そこにあるのは、奇声、歓声、罵声、ざわめきだけで、いつまでたっても核心の「か」の字も出ないし、話題は急に飛ぶし、挙句の果てには起承転結がなくなっている。ちゃんとした言葉の文章が流れてこないので、何を言っているのかさっぱり分からなくなるんです。

 例えば、バラエティーのタレントさんはずいぶん昔からいるけれど、タレントの元々の意味は「能力」や「才能」ですよね。最近は踊ったり騒いだり奇声をあげたりするだけで……ピエロにもなれないね。似ているようで、全く違う。本物のピエロのパフォーマンスを見ると、物悲しい気持ちにさせられる。あれは凄いね。最近のタレントさんは、喋りで相手を笑わせたり驚かせるところまではいけるかもしれないけど、泣かせることは出来るかな?